万葉人が旅立った港は益軒先生のお膝元
地下鉄空港線で「天神」駅から西に向かうと隣が「赤坂」駅、その次が「大濠公園」駅である。2番出口から地上へ出て振り返ると、濠の向こうに福岡城趾の緑が広がっている。その西側にあるのが大濠公園。かつては福岡城の西側を守る濠であった広大な池には、緑の島々が浮かび、それらを結ぶ橋が連なっている。水面に映る島影に水鳥たちが遊ぶ光景は、市街地の真ん中とは思えないのどかさ。園内には福岡市美術館や能楽堂、日本庭園などがあり、潤い豊かな住環境に恵まれた周辺エリアは、市内でも有数の高級住宅街として羨望を集めている。
大濠公園の北側、国道202号の大通りをはさんだ向かい側に桜の並木道が北へ伸びている。右手の角に立つのは「西公園入口」の石碑。裏側にまわると、ダイナミックな書体で何やら歌が刻まれている。判読は容易ではないが、
草枕 旅行く君を 荒津まで 送りぞ来ぬる 飽き足らねこそ
という万葉歌である。古代、この辺りには草香江(くさがえ)と呼ばれる入江が広がり、荒津の港が開かれていた。この港から大陸や朝鮮半島へ、あるいは京の都へと数多くの人々が船出して行ったことであろう。碑に刻まれた歌も港での別れを歌ったものである。この歌は問答歌であり、
しろたへの 袖の別れを 難(かた)みして 荒津の浜に 宿りするかも
に応えたものだという。果たして男女の別離なのか、友人の送別なのか、定説はない。おかげで万葉人に思いを馳せながら、読み解く楽しみがある。ちなみに後者の歌は、大濠公園の池に浮かんだ島の歌碑に見ることができる。

桜の名所へと伸びる“西公園参道”。右手の石碑の裏側に万葉歌が刻まれている
桜の並木道は通称“西公園参道”。この先の小高い山は博多湾や志賀島を見晴らす景勝の地であり、万葉の昔には荒津山と呼ばれていた。後に荒戸山とも呼ばれたが、明治になって一帯は西公園となり、黒田如水・長政父子を祀る光雲神社(てるもじんじゃ)が造営された。これが参道の名の由来である。この西公園には約2500本の桜が植えられ、春には桜の名所として多くの人出でにぎわう。
大濠公園駅の北側に広がるのが荒戸地区。福岡城築造のとき、草香江の入江を埋め立てて宅地としたエリアであり、荒戸山のふもとであることから町名となったという。前回の東養巴町通りの「バーボン・ハイボール」で紹介した貝原益軒は、この町に住まいながら数多くの著作を残した。その屋敷跡には小さな石碑が立ち、世の動きを静かに見つめている。駅から地上へ出ると、通りをまたぐ「平和台ホテル」のアーチ看板が目を引く。ケーキショップや食堂、レストランや居酒屋、ヘアサロンなどが軒を並べる通りの奥に、そのビジネスホテルが立地している。戦災をまぬがれた一帯は、古い民家が立ち並ぶ静かな街並みだが、例によってマンションの建設が進んでいる。そのマンションの大半が「荒戸」ではなく「大濠」の地名を冠している。憧れの地のイメージを拝借しようというわけだが、さて益軒先生なら何とおっしゃることだろうか。
アーチ看板をくぐって通りを北へ。一つめの信号を左に折れると昔ながらの路地。その奥の左手、草花のプランターが飾られた店がある。メニュー看板やいろんな料理写真が店先に掲示され、いかにも気軽な店構え。これが博多創作串揚げ「ING(いんぐ)」である。串揚げ店というと高級なイメージを演出する例もあるが、この店はちょっと路線が違うようである。

ブルーのLED照明が宵闇に浮かぶ。この気軽な店構えにもオーナーたちの夢が託されている




