古典歌舞伎からスーパー歌舞伎、現代劇に至るまで、幅広い舞台で活躍する若手の歌舞伎俳優・市川段冶郎さん。元々はアクション俳優を夢見て上京し、歌舞伎俳優を志すに至ったきっかけから、次第に歌舞伎に魅了されていった経緯、俳優という立場から見た歌舞伎の魅力、そして観劇の楽しみ方について話を聞いた。
アクション志望から歌舞伎の道へ

僕は歌舞伎の家柄ではなく、一般家庭のサラリーマンの子として生まれました。しかも生まれは新潟県の新潟市でしたので、歌舞伎の舞台に触れる機会などほとんどなく、子供時代は歌舞伎にはまったく興味はありませんでした。
僕が当時、興味を持ったのはアクション(笑)。中学のときに、香港のアクションやカンフー映画ブームがあって、もうそれに夢中になってしまったんです。それで千葉真一さんが主宰されていたジャパンアクションクラブ(JAC)に入ろうと決意し、中学2年のときにJACの試験を受けました。思いもよらず合格を果たしたときは本当にうれしくて飛び上がって喜びました。ただ、経済的な理由もあり、そのときは残念ながら断念せざるをえませんでした。
その後、高校には進学したものの、アクション俳優への夢が諦め切れず、高校もまじめに通う気になれませんでした。そんなとき、母がちょうど東京の国立劇場の「歌舞伎俳優研修所 第九期生募集」という新聞広告を持ってきてくれました。そして「歌舞伎にも、あなたが目指しているようなアクションがあるのよ」と、立ち廻りの入っているお芝居のビデオを見せてくれたんです。
何の演目かは思い出せないのですが、そのビデオで見た「とんぼ」のきれいさに圧倒されたんですよね。何人もの人が並んでいる、その上を空中で一回転しながら飛び越したりして。その映像に、何かを感じたんでしょうね。「歌舞伎を勉強した後に別の世界に行くのもいいんじゃないかな」と、軽い気持ちで試験を受けてみたら、合格しまして…。それで高校を中退して、上京したんです。だから研修生の試験を受けるまで、歌舞伎というものを生で見たことはありませんでした。

ただ、歌舞伎というのは、そのお家お家に受け継がれてきた芸があり、それをまた御曹司が継承して…という世界なので、一般家庭からこの世界に入って、シン(主役)を張ろうという夢は、最初から持ちませんでした。ですから研修所で2年勉強して、卒業したあとに歌舞伎の名をいただいて、それから2〜3年、舞台を修行したら、外の世界に出ようと決めていたんです。
その気持ちが変わったきっかけは、現師匠である市川猿之助の芝居を観たことです。初めに猿之助の弟、段四郎の下に入門して、舞台に出演しながら歌舞伎をいろいろ観て、最後に師匠の芝居を見たのですが、そこには他の歌舞伎にはないエネルギッシュさというか、パワーが溢れていた。それまで“歌舞伎は歌舞伎”と別のもののように思っていたのが、このとき僕の中で歌舞伎が他の演劇と同列に並んだのです。
最終的に歌舞伎を本気で志そうと決めたのは、1989年。入門して1年くらいたった頃、京都の南座で行なわれた12月恒例の「顔見世興行」でした。うちの師匠の十八番でもある『義経千本桜』の「川連法眼館の場」、通称「四の切」で、師匠が演じた「狐忠信」を見て、初めて歌舞伎で心の底から感動し、涙が出たんです。それは子供のころ、映画やドラマで得たものとまったく同じ感動でした。そこで迷いなく、「この人みたいな歌舞伎俳優になりたい」という思いが芽生えました。主役だとかそういうことは考えずに、ただ素直に、市川猿之助のような俳優になりたいと。それが歌舞伎俳優としての、僕の原点です。




