大手映画会社が製作したさまざまな洋画、邦画が正月映画として全国各地のスクリーンで上映されるなか、ミニシアターでの上映から始まった独立系アニメ作品『この世界の片隅に』が前代未聞のヒットを記録している。2016年11月のスタート時の上映館数は63館だったが、各館が満席になったり立ち見が出たりと、そのあまりの人気ぶりに全国の映画館から上映依頼が殺到。2017年1月上旬には一気に50館が追加され、累計上映館数は約200館と、当初の3倍に急増する。独立系映画がなぜメジャー級のヒットを記録しているのか。ヒットの大きな要因の一つであるクラウドファンディングの活用をどのように成功させたのか。制作を統括し、クラウドファンディングを仕掛けたGENCOの真木太郎プロデューサーに、その全貌を聞いた。

(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 『この世界の片隅に』は太平洋戦争時の軍港だった広島の呉を舞台に、10代の主婦である主人公のすずとその家族が過ごした「戦時中のリアルな日常」を描いた劇場用アニメ作品だ。漫画家のこうの史代氏による原作を実力派の片渕須直監督が映画化した。製作期間は6年を要し、その間、片渕監督は原作の舞台である広島や呉に何度も足繁く通い、現地調査やインタビューを重ねてきた。片渕監督はシナリオとアニメ化の前段階である絵コンテを完成させ、13年からは真木プロデューサーが参画したが、映画製作に必要な資金を出す企業が現れず、資金難が大きな課題として立ちはだかった。

GENCOの真木太郎プロデューサー
GENCOの真木太郎プロデューサー

―― この映画を作るプロセスは大手映画会社の場合とは大きく異なっていたようですね。

真木: 大手映画会社の場合、基本的には最初にお金が集まってから製作がスタートします。つまり、出資する複数の企業によって製作委員会が立ち上がり、そこにプールされた資金から監督の現地調査、シナリオや絵コンテ作りなどのプリプロ(企画開発)の費用が出ていきます。しかし、『この世界の片隅に』の場合は、製作委員会設立の前に片渕監督によるプリプロが始まり、シナリオと絵コンテができ上がった段階でも出資する企業が現れず、製作委員会も立ち上がらず、そこから映画を作るためのお金がない状況でした。

―― そもそもなぜお金が集まらなかったのですか?

真木: 一つは、片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』が、内容はとても良かったのですが、興行収入が5000万円弱にとどまったこと。アニメ映画の製作には最低でも2億円はかかりますから、この興収では赤字です。出資する企業が二の足を踏む要因になりました。もう一つは、『この世界の片隅に』の内容が、現代のアニメらしくないからですよ。ファンタジーでもなく、SFでもない。ロボットや宇宙人も出てこないし、奇跡も起こらない。要するにアニメは非日常でなければならないのに、今回の映画は“ドキュメンタリー”みたいなものじゃないですか。出資する側が従来の常識で考えたら、これほどまでに一般受けする要素が皆無のアニメ映画がヒットする可能性は「ゼロ」に思えてしまう。

―― そこで、直面する資金問題を打破するために、クラウドファンディングの活用を思いついた。

真木: 実は、片渕監督はファンとの交流をとても大切にする監督で、プリプロの段階から複数回にわたって100人規模のミニイベントを開き、「今はここまで現地調査ができた」「ここまでシナリオや絵コンテが仕上がった」と報告するなど、コミュニケーションを図ってきました。一方で、こうの史代さんのファンも作品を深く読み込むタイプの読者が多く、言ってみれば双方に“濃いファン”が元々存在したわけです。こうしたヘビーなファンがいたことが、クラウドファンディングでの支援を期待して活用を決断するうえで、大きなトリガーになったことは事実です。

 ただし、クラウドファンディングでは、見ず知らずの方から1万円単位の支援金を集めることになります。だから、「これは相当きちっとやらないとやばいぞ」という意識がありました。僕もクラウドファンディングの研究を兼ねてさまざまな製品や事業に支援金を出してきましたが、ものによってはお礼のメールが1回しかこなくて、忘れたころに製品が届いたり、あるいはレストランの開店を支援して、特典の「先行招待」で行ってみたら満席で入れなかったりすることがけっこうある。こうした思わず舌打ちしたくなるようなプロジェクトが実感として半分くらいあるわけです。僕は、それはある意味「詐欺」だと言っているんですよ。法律に抵触しなくても、支援者に詐欺だと思われたら、詐欺なんです。だから今回の映画では絶対にそう思われちゃいけないと思っていた。せっかくの良い作品に味噌をつけちゃうから。

片渕監督は“手弁当”で入念な現地調査を繰り返し、丹念に映画を作り上げた
片渕監督は“手弁当”で入念な現地調査を繰り返し、丹念に映画を作り上げた

 だから、最初のクラウドファンディングでは「支援金で映画を作る」とはひと言も言っていません。「映画化に向けてパイロットフィルム(予告編)を作るため」もしくは「製作するスタッフを確保するため」と言っている。この言い方を間違えてはいけません。目標金額は2160万円と設定しましたが、この金額で映画は作れませんから。

 もう一つのポイントは、支援金を出したことに対するリターン(特典)は、支援金額に応じて、主人公のすずさんから、漫画家こうの史代さんの描き下ろしイラスト付きの手紙が届いたり、映画のエンドロールに名前が載ったりする……などとしたこと。映画化の支援でありがちな「前売り券10枚を進呈」とか「完成したDVDをプレゼント」は一切やらなかった。なぜなら、まだ完成するかどうかもわからない映画で前売り券やDVDを送ると約束することは、いかにも「詐欺っぽい」からです。

 それにこのプロジェクトを支援してくれる方々は、きっと誰よりもこの映画が見たいと思っているはず。ということは、何かをあげるよりも、1円でも多くのお金を映像制作のために費やすことが、一番のリターンになると考えました。

大手への反発から“市民運動”が勃発

 2015年3月~5月に実施されたクラウドファンディングは、目標額の2160万円を超え、最終的には3374人の支援者から約4000万円の資金を調達することに成功した。従来、国内映画関連のクラウドファンディングでは、『ハーブ&ドロシー』が宣伝費として約1400万円調達した事例が有名だったが、それを大きく上回り、金額では国内の映画ジャンルにおいて歴代トップとなった。

2015年3月に募集開始したクラウドファンディングのプロジェクト画面。大手の「Makuake」を活用した
2015年3月に募集開始したクラウドファンディングのプロジェクト画面。大手の「Makuake」を活用した

―― 目標を超えて多額の資金が集まったわけですが、支援者はどのような人たちだったのでしょうか?

真木: 支援者のプロフィールは分からないから確かなことは言えませんが、こうのさんのファン、片渕監督のファンに加えて、感覚的にプラスアルファの支援があったなと。「この映画が見たい」「こういう映画を応援したい」という、日本映画ファンというか、一種の応援団という気がしました。

 大手映画会社が作る今の映画作品は、アニメに限らず方程式のようなものがあるでしょう。ベストセラーの原作があって、テレビのスポットCMもガンガン放映して、タイアップもやってという、エンターテインメントの送り手の方程式を、受け手としての映画ファンは享受せざるを得ない。でも「そればっかりかよ」と不満を持つ受け手もいた。そこに、クラウドファンディングでこの作品のプロジェクトが立ち上がったのを知り、「これって、もしかして自分たちが求めていた映画じゃないの?」と、映画ファンが“発見”して、応援団になってくれた。そこから、こうのさんのファン、片渕監督のファン、そして映画ファンが束になって、大手がバックに付いていない映画を世に送り出すための、いわば“市民運動”が始まったのではと思っています。

 こうしてクラウドファンディングで集めた応援団には、ほぼ週1回メールマガジンを送って、「ここまでできた」という経過報告を行ったこともポイントです。絵がここまでできたとか、色が付いたとか、スタッフルームの様子はこうだとか、写真も一杯貼り付けて、ものすごく丁寧に対応してきました。支援者はそれを見て、自分もスタッフの一員としてこの映画を一緒に作っているような感覚を味わえたと思います。

片渕監督が作り上げた絵コンテの数々。史実を踏まえて詳細に作り込まれている
片渕監督が作り上げた絵コンテの数々。史実を踏まえて詳細に作り込まれている

―― 片渕監督は作品を作る過程でミニイベントを開いてファンとコミュニケーションを図るタイプという話がありましたが、同様のことをメルマガでも行った。

真木: そうです。結局クラウドファンディングはきっかけに過ぎないんですよ。支援者と実行者がクラウドファンディングという手法で単につながっただけ。僕たちはそのつながりを大事にしようと考えたわけです。もちろん、その3000人以上の支援者たちが周りの10人にこの映画の良さを宣伝してくれれば、3万人以上に届くという計算もありましたけど。でも、それは支援者たちもわかっていることですし、むしろいわずもがなで積極的に宣伝してくれたと思います。

―― メルマガによって支援者と実行者の結びつきが強固になって、“市民運動”にさらに拍車がかかった。

真木: 昔、『この世界の片隅に』の舞台の一つである広島で、広島東洋カープが球団創設直後の資金不足を補うために、広島市民から寄付を募った「昭和の樽募金」によって存続が可能になりましたが、それと似たようなものです。広島カープが市民球団といわれるなら、この映画は、まさしく市民運動による「市民映画」。クラウドファンディングによって、自分たちが見たい映画を「発見」した支援者は、メルマガによってその思いが「確信」に変わり、市民映画としての原動力になったのだと思います。だから、ものすごい数のクチコミがSNSなどを通じて拡散していったわけです。

(後編に続く)

(文/高橋 学、写真/古立康三)

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