2020年の東京五輪・パラリンピックに向けての再開発が進み、東京の街が急速に変わりつつある。一方で、江戸・明治・大正・昭和の文化や名所を多く残す地として、東京には国内外から観光客が押し寄せている。いま、何を変え、何を守るべきか。江戸時代に建てられ観光名所としても名高い港区芝公園の「大門」、文京区本郷の「赤門」、台東区浅草の「雷門」という3つの「門」と、その近くで街の変遷を見守り続けてきた「老舗」を通して、東京の未来について考える。

 東京・芝にある大門は、1605(慶長10)年、徳川家康が増上寺を大改修した際、江戸城の大手門を移築して建てられた。明治維新で寺領を没収されて困窮した増上寺は、大門を東京府に寄付。のちに大門は、芝公園の一部として東京市の管理下に入った。1923(大正12)年、関東大震災で損傷したため、1937年(昭和12)、鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。

「このあたりはみんな戦争で焼けたんですが、大門は鉄筋だったので、東京大空襲にも耐えたわけです」。大門から道を隔ててすぐの場所にある蕎麦店「芝大門 更科布屋」の金子栄一社長はいう。

 更科布屋は、1791(寛政3)年、東日本橋の薬研堀で創業。1913(大正2)年から芝大門で商いを営み、金子社長は七代目となる。「父や祖父、地元の人たちは、焼け残った大門が『復興のシンボルだった』と言います。ここに住んでいる人たちには愛着がものすごくある。」(金子氏)。

 1970年代に入ると、建材の接着剤が剥がれるなど、汚れが目立ってきた。1974年、増上寺は大門修復のため、東京都に譲渡を打診したが、都の財産目録に記載がないことが判明し、都は「目録にないものは譲渡できない」と拒否。寺による修復が不可能となった。そこで、大門を愛する地元の人々が一計を案じた。

「うちの親父を始めとする地元っ子たちが動き、この参道で商いをする店主や会社に寄付をお願いし、個人を含む30数社で1000万円集めて、外装のお化粧直しをいたしました」(金子社長)。2011年、東日本大震災のとき、瓦が何枚か落ちるなどの損傷を受けたため、地元から「改修してほしい」という声が上がった。その声に後押しされる形で、2016年3月下旬、東京都と増上寺は無償の譲渡契約を結び、大門は138年振りに寺に返還され、耐震工事と2度目のお色直しをして、2017年4月、新たな姿でお披露目された。

 大門の通りは、2020年東京五輪のマラソンコースの有力な候補となっている。

芝の大門。奥には増上寺が見える
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大門と道を挟んですぐのところにある蕎麦店「芝大門 更科布屋」
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「芝大門 更科布屋」の金子栄一社長】
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