「次こそは」で一歩一歩積み上げた4年間

 「だんだんとよくわからなくなってきました(笑)。本当に自分がやったことなのかなって思うことがあるんです」

 「村岡桃佳」の名を世界に知らしめた平昌2018冬季パラリンピックから2カ月がたった今の心境を聞くと、村岡はそう言って笑った。

 「4年に一度の戦い」を終えて帰国した村岡のもとには、取材、祝勝会、イベントの出席など、数多くの依頼が舞い込んだ。もちろん、自分のことで喜んでくれることも、パラリンピック競技を取り上げてくれることもうれしい。だが、盛り上がる周囲の様子に、ふとした瞬間、「本当に私が成し遂げたことなんだろうか」と目の前に並ぶ5つのメダルを見ながら不思議な感覚になることもあるのだという。

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 そこには4年前とはまったく別の“村岡桃佳”がいた――。

 「次こそは、自分もあそこに立ちたい」

 2014年3月、初めてのパラリンピックを終えた村岡は、表彰台に立つメダリストたちを遠く見つめながら、4年後への思いを募らせていた。同大会で村岡は3種目に出場した。スーパー大回転では旗門不通過で失格となり、回転では9位、ようやく力を出し切ったと思えた大回転では5位入賞も、メダルには届かなかった。そんな4年前を、村岡はこう振り返る。

 「正直に言えば、ソチのときはメダルを『取りたい』とは思っていましたが、『取れる』とは思っていませんでした。自分にとってはステップアップという位置づけの大会だったんです。でも、やっぱり悔しさはすごくあって、平昌までの道のりは『次こそは』という気持ちで歩み続けた4年間でした」

 ソチの後、彼女の環境は大きく変化した。2015年4月に早稲田大学に進学した村岡は、名門のスキー部に所属。オリンピックを目指す国内トップレベルの学生たちとともに、それまでとは比較にならないほどのハードなトレーニングを積んだ。フィジカル面の強化はもちろん、世界の頂を目指すべく、アスリートとしての意識も高まり、彼女は一歩一歩、強さを身に付けていった。

 「よく何がきっかけで強さを身に付けたのか、と聞かれるのですが、何か特別なことがあったわけではありません。本当に一日一日の積み重ねだったと思います」