フリーアナウンサーの丁野奈都子が、グローバルに活躍の場を広げる“今旬の人”にインタビューする本連載。リオ五輪のカヌースラローム男子・銅メダリストの羽根田卓也選手にご登場いただいた前回(「リオ五輪カヌー銅 羽根田卓也が世界との差を感じた夏」)では、単身でスロバキアへ渡るまでの道を聞いたが、今回は、リオに至るまでの苦悩や、試合本番に最大限のパフォーマンスを発揮するための心身の鍛え方に迫る。そして、カヌー競技の未来への期待を語ってもらった。

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不安やプレッシャーにさいなまれていた20代後半

丁野: スロバキアでの約10年間で、孤独を感じられた部分が多々あったと思うんですよね。おひとりで戦ってこられているわけですから。

羽根田選手: うーん。正直、マイナー競技のカヌーを続けても何も残らない。何か残せるとしたら、オリンピックでメダルを取るしかないんですよ。こんなばくちのような人生をやれているのは、僕の強みである目標に対する強い意志のおかげかなと思いますよね。


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丁野: 目標に届かなかったらという不安はありませんでしたか?

羽根田選手: 僕は29歳で、あと何回もオリンピックに出られる年齡ではありません。「結果が出なかったらどうしよう」という不安は、年を重ねるごとにどんどん強くなっていきました。メダルが取れなかったときに、自分はどうなっていくんだろう。今まで支援してくれた人たちに対してどんな顔をすればいいんだろう。そんな不安やプレッシャーが常にあり、リオはとくにそんな気持ちを抱えて臨んだ大会だったんで…ほっとしています。

丁野: だからこそ、あの涙でしたか? 銅メダルが決まったとき、ずっと泣いていらっしゃいましたよね。


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羽根田選手: そうですね。自分なりにいろんな感情に蓋をしてきたところがあるんで、その蓋が取れちゃったって感じで…はい。ゴールしたときは暫定2位でしたが、残りの走者はめちゃくちゃ強い選手ばかり。表彰台は無理だろうと諦めていたんです。でも、バタバタと後続が崩れ、あと1人となったときに暫定3位。本当に祈るような気持ちでした。最後の走者が終わって、電光掲示板に僕が3位のまま残っているのを見たとき、「わー、信じられない!」と感じ、次いで「うれしい!」と思ったときに、ぐわーっと今まで我慢していたものがあふれました。

丁野: ほかの選手からも祝福されていましたよね。


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羽根田選手: 彼らも僕が10年間スロバキアでやっていることを知っていましたし、誰よりもこの競技で日本人がメダルを取ることの難しさや価値というのを知っていてくれていたんですね。

丁野: 日本初で、アジアでも初。本当に快挙ですよね。ご自身では、今回のリオでの勝因は、どんなところだったと思いますか?

羽根田選手: リオのコースはコンパクトな一方、複雑で繊細なテクニックが求められるようなコースでした。僕は、カヌーを始める前に習っていた器械体操で培った身のこなしやバランスで勝負し、テクニックを武器にしています。そんな長所がうまく生きたコースだったんじゃないかと思います。