つくる:庶民のための新しい乗り物

 スーパーカブは、顧客の使い勝手を最優先に考えて作られた製品だ。当時の小型バイクは壊れやすく、燃費も悪かった。そこで、それまで50ccバイクで採用していたエンジンや部品を見直し、スーパーカブのためにゼロから開発した。ターゲットも男性だけでなく「女性を含めた庶民」と設定。スクーターでもバイクでもない「新しい乗り物」を作るという意気込みで取り組んだという。

1958 年に発売した初代スーパーカブ
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 スーパーカブの造形的な特徴の一つ、フロントカバー「レッグシールド」に、バイクの部品としては初めてポリエチレン樹脂を採用した。積水化学工業と共同で技術開発から取り組んだ。レッグシールドは、エンジンを隠す役割もある。「エンジンがむき出しだと怖い」という女性の意見を反映し、またぎやすく、風よけにもなる独特な形状が生まれた。

 手を使わずに足だけでギアチェンジができる自動遠心クラッチも、「クラッチ操作は難しそう」というイメージを払拭するために考案した。イメージは「そば屋の出前がおかもちを持って片手で楽に運転できる」というもの。セミオートマなので、バイクに初めて乗る人でも短時間で運転に慣れる。開発期間は約1年8カ月。藤沢氏は、モックアップができた時点でヒットを確信。工場の土地を購入し、増産できる体制を整えていたという。

売る:ホンダ直結、自前の販売網を整備

 初代スーパーカブの価格は、5万5000円。小学校の教員の初任給が9000円という時代で、決して安価ではなかった。だが、世の中の景気が上向いていたこともあり、大ヒットした。当時、日本中のオートバイメーカーの合計販売数が月4万台程度だったが、スーパーカブは発売されると月3万台売れたという。驚異的な売れ行きだったことが分かる。翌1959年は、年間16万台以上を販売した。1960年は56万台生産している。

1960年の商品広告
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 スーパーカブの人気に伴い、競合他社から類似したバイクが売り出された。それらは「○○(メーカー名)のカブ」と呼ばれたが、今でも販売を続けているのはスーパーカブのみだ。スーパーカブが生き残ることができた理由の一つは、自前の販売網があったからだという。ホンダは、アフターサービスをできるように、各地域ですでに事業基盤を持っている人たちにスーパーカブを販売してもらおうと考えた。藤沢氏は、これまでモーターサイクルにも自転車にも関係のない、材木商や乾物店といった異業種の人たちにも参加を呼びかけたという。

 国内で発売した翌年には、米国に進出。国内のモデルをベースにして米国仕様のスーパーカブを発売した。大々的な広告キャンペーンを展開し、話題になったという。カラフルなイラストによる広告を米国の一般誌に掲載し、大排気量のバイクが主流だった時代に、実用性に優れた小型バイクの価値と魅力を提示。その結果、全米でホンダブランドを印象づけることができたという。現在、スーパーカブは世界15カ国で生産されており、これまで延べ160カ国・地域で販売している。