朝、貴方は目を覚まし、目をこすりながら体を起こす。すると自動的に寝室のブラインドが上がり、リビングのカーテンが開く。それと同時に毎朝、欠かさず聴いている好みの音楽が流れ始めて、1日が幕を開ける――。

 あらゆる機器がネットにつながるIoT(Internet of Things、モノのインターネット)という概念の登場と、AI(人工知能)の進化が家に変革をもたらそうとしている。IT化された家全体をAIで自動制御して、より快適な暮らしを提供する「スマートホーム」の実現だ。冒頭のようなエピソードは、スマートホームに関する製品やサービスの記者発表会などで、デモンストレーションとして紹介されることが多い。つまり、現時点では将来像として描かれているわけだ。

 だが、これはすでに現実のものとなっている。投資用マンションの開発を手掛けるインヴァランス(東京都渋谷区)は、AIマンションのモデルルームを作って実証実験を始めた。同社はスマートホーム向けAI開発の米ブレイン・オブ・シングス(BOT社)に出資。共同でAIマンションの開発を進めている。同マンションでは、AIが自動で住宅設備を制御する。

インヴァランスと米ブレイン・オブ・シングスは共同でAIマンションを開発しており、来年から販売に乗り出す計画だ
インヴァランスと米ブレイン・オブ・シングスは共同でAIマンションを開発しており、来年から販売に乗り出す計画だ

 2017年9月からは、そのAIマンションのモデルルームにインヴァランスの従業員が実際に住むことで、生活に関するデータを蓄積して、AIの学習や機能改善に取り組んでいる。「(AIの反応速度など)今の品質では、分譲マンションとしてそのまま商品化することは難しい」(インヴァランスの小暮学社長)。そこで、実際の利用データを用いた改善期間を経た後、「2018年から実際に販売を始めたい」と小暮氏は意気込む。

 「人は家の中で電気をつけたり、戸締まりをしたりといった約90種類の行動をする。そのうち80種類をAIが代替できる」

 BOT社のアシュトシュ・サクセナCEO(最高経営責任者)はAIマンションでの暮らしをこう説明する。居住者の行動に合わせて、適切な設備を必要なタイミングでAIが操作することでこれを実現する。

 インヴァランスと共同開発したマンションには、BOT社の開発するAI「Caspar(キャスパー)」が搭載されている。このCasparが照明やカーテンのレール、給湯器などの設備を制御する。さらにAIが居住者の生活習慣を学習することで、照明の明るさや室内の温度といった細かな点も居住者の好みに合わせて自動調整できるようになる。こうして家内での行動の大半が自動化されるというわけだ。

AIマンションの壁にはAIと対話するためのスピーカーが埋め込まれている
AIマンションの壁にはAIと対話するためのスピーカーが埋め込まれている

習慣をAIが把握する2つの学習手段

 AIは2つの方法を組み合わせて居住者の生活習慣を学習する。1つ目は、居住者がCasparと直接コミュニケーションを取る方法だ。モデルルームにはリビング、寝室、洗面所の3カ所にCasparと会話をするためのスピーカーが設置されている。このスピーカーに向かって、「Caspar」と呼びかけることでAIとの会話が始まる。Casparに音声で「カーテンを閉めて」といった指示を出すだけで、カーテンが閉まる。それによりいつ、どの機器を操作したかといったデータを蓄積する。

 ただし、音声による機器の操作データだけでは居住者の好みまでは把握できない。そこで、もう1つの学習手段として、居住者の行動データを用いる。AIマンションには壁に設置された照明のスイッチなど、さまざまな接点にセンサーが埋め込まれている。加えて部屋の角には居住者の行動を記録するカメラが設置されている。これらのセンサーやカメラで取得したデータを使って、生活パターンを読み解く。

部屋の角にはカメラが設置されており、このカメラで取得した映像でAIが人の行動を解析する
部屋の角にはカメラが設置されており、このカメラで取得した映像でAIが人の行動を解析する
照明のスイッチだけではなく、部屋のさまざまな場所にセンサーが設置されている
照明のスイッチだけではなく、部屋のさまざまな場所にセンサーが設置されている

 例えば、「Caspar おはよう」と話しかけると自動的に寝室のブラインドが上がり、カーテンが開いて、照明がつく。ただし、最初は好みに合わせて自動調整されるわけではない。もし明るすぎると感じた場合は自分で照明を消したり、ブラインドの上がり具合いを調整したりする必要がある。すると、センサーやカメラの映像を通じてそうした行動をAIが学習する。これを繰り返すことで、AIが居住者の好みを学習して、自動的に調整するようになる。

 このような部屋の設備を自動制御するためのAIは、部屋の戸棚に設置されたコンピューターで制御されている。AIは家庭内のネットワークを通じて、部屋のさまざまな設備の窓口となる機器に指示を出して操作する。この機器はインヴァランスがスマートホームを見越して開発したもの。ただし、現状は日本電機工業会規格(JEM)で定められた特定の端子を持つ設備だけしか対応していない。

AIマンションは寝室にもスピーカーが設置されている
AIマンションは寝室にもスピーカーが設置されている

 これを拡張するためにインヴァランスでは現在、新たな窓口となる機器を開発中だ。新型の機器ではWi-Fiや赤外線通信、無線通信規格「Z-Wave」など、多数の通信規格に対応する。これにより、テレビを始めとする家電製品も操作可能にする。

家がデバイス、AIがOS

 このようなAIマンションを標榜する取り組みは、何もインヴァランスとBOT社特有のものではない。米コンサルティングファームのA.T. カーニーは、スマートホームの市場規模の推移を2020年までに現在の3.3倍の5兆円(1ドルを100円換算)に拡大すると予測。さらに2030年までに40兆円になると予測する。その市場拡大をけん引するのは日本と中国になると見る。

 東京急行電鉄が発足したスマートホーム実現に向けて企業連合組織「コネクティッドホーム アライアンス」もその一例だ(関連記事)。同組織にはトヨタ自動車、ソフトバンク、日本マイクロソフトなど名だたる企業77社が参加する。9月14日に実施した設立総会に登壇した市来利之取締役常務執行役員は、「米国と比べると、日本は完全に周回遅れになっている」と説明。企業の垣根を越えた、統一的なサービスを作っていく必要があると訴えた。

 ところが、具体的なサービスや商品は明らかになっていない。なぜ日本のスマートホーム市場は足踏み状態にあるのか。その理由をBOT社のサクセナ氏は「個別製品の販売にとどまっているからだ」と指摘する。スマートフォンで鍵を開け閉めできるスマートロックなどは日本でも提供企業が増えているものの、「個別の製品単位では限られた価値しか提供できない」(サクセナ氏)。例えば、部屋の温度を調整するときには本来エアコンだけではなく、カーテンの開け閉めで日当たりを調整したり、湿度を調整したりするなど、複数の設備を同時にコントロールすべきだという。

 それには家全体をIT化する必要がある。だが「家にAIというOSをインストールすることは難しい。なぜなら、AIを学習させるためのセンサーも同時に設置しなければならないからだ」(サクセナ氏)。実現には、マンションの設計段階からAIを組み込む必要がある。だから、BOT社はインヴァランスと提携したわけだ。

 スマートホームとは、IT化された家というデバイスに、AIというOSを組み込んだものを指す。インヴァランスが家というデバイスを作るメーカー、BOT社のAIがそのデバイスを動かすプラットフォームとなるOS、家の設備や家電製品をアプリケーションと整理すると分かりやすい。昨今、グーグルやアマゾン、LINEが音声認識の対話型AIに力を入れる理由も、家を含む既存のデバイスに導入する新たなプラットフォームの覇権争いを見越しているからだろう(関連記事)。

 スマートフォンの世界では、大元となるOSを押さえたアップルとグーグルが覇者となった。日本連合はスマートホームという新たな市場において心臓部分となるOSを抑えられなければ、そのOSの上でしかビジネスをできない恐れがある。

(文/中村勇介=日経トレンディネット)

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