リオ五輪が閉幕し、いよいよ次の夏季五輪は2020年の東京となった。リオ五輪の閉会式では、安倍首相がマリオにふんして登場するなど、日本のソフトパワーを活用した演出で話題となった。4年後の開会式ではどんな演出を見せてくれるのだろうか? 楽しみだ。

 そんな中、東京五輪に向けてすでに準備を進めている人々がいる。なんの準備かといえば、それは“おもてなし”。実は国内の有力企業が、東京五輪で増える訪日客に対して、ICT(情報通信技術)を活用したおもてなしを提供しようと研究開発を進めているのだ。ここでは、そんな企業のひとつであるNTTグループの取り組みを取材した。

看板・案内板から必要な情報が入手できる

 1998年の長野五輪では、腕時計型のPHSを運営スタッフの連絡用に配布して話題を呼んだNTTグループ。だが、2020年の東京五輪での取り組みは新型機器の提供にとどまらない大きなものになるかもしれない。というのも、五輪のために来日した訪日客が空港に到着してから競技場での観戦、帰国までを支援するおもてなしを準備しているからだ。加えて、東京五輪を日本のICT技術の先進性をアピールするショーケースとしてもとらえている。また、こうしたおもてなしの考え方や技術は、将来の高齢化社会のインフラとしても大いに役立つとNTTグループでは見ている。

 では、どんなおもてなしになるのか、順を追って紹介しよう。

 訪日客が空港で入国してまず戸惑うのは、自分が行きたい場所にどうやったらたどり着けるのか、ではないだろうか。トイレはもちろん、とりあえず食事をしたい、両替したい、バスや電車に乗りたい――などさまざまなニーズに分かりやすく応える必要がある。最近では、看板を多言語で表示するといった対策をとっているが、十分とはいえないだろう。

 こうした課題にNTTの研究所が出した答えが「かざして案内」だ。これは空港の看板や案内板にスマートフォンのカメラを向けるだけで、母国語への翻訳や現在位置の表示、ルート案内などの必要な情報が入手できるというもの。レストランの商品サンプルにかざすと、原材料が表示されるといったことにも応用できる。とはいえ、今でもQRコードなどを認識させて、必要な情報を表示することはできるので、正直なところそんなにすごい技術という印象はない。

 かざして案内のすごいところは、看板や案内板の正面に立って、画面いっぱいに看板や案内板を表示させる必要がないこと。看板や案内板が多少斜めでも、あるいは一部欠けていても「アングルフリー物体検索技術」と呼ばれる技術を使って高精度に認識するという。従来、アングルフリーの物体認識を実現するには、さまざまな角度から撮影した大量の画像をあらかじめ登録しておく必要があった。だがアングルフリー物体検索技術では、数枚の画像を登録しておくだけでいいという。

かざして案内。案内板をスマホのカメラで写すと、さまざまな情報を表示する
かざして案内。案内板をスマホのカメラで写すと、さまざまな情報を表示する

 課題は、きちんと認識するかに加えて、かざしたときに何を表示するかだろう。そもそもかざすという行為で情報を入手するという操作が有効かどうかも検証が必要だ。そのためNTTは、2015年12月から2016年3月にかけて、東京国際空港ターミナルやパナソニックなどと共同で、羽田空港の国際線旅客ターミナルで実証実験を行っており、利用者がある程度直感的に行動できることを確認している。

混雑を緩和する人流予測技術

 NTTグループの取り組みで、一番期待されるのが「人流予測」の技術だろう。空港から電車やバスに乗るまで、最寄り駅から競技場に入場するまでなど、訪日客が行列を作って待たされるシーンは多々ある。待ち時間が長くなると人々のフラストレーションがたまり、無用なトラブルに発展することも考えられる。現在の混雑状況を把握し、そこから未来の混雑状況を予測することは、おもてなしを提供するうえでとても重要なポイントだ。

 そこでNTTの研究所が一丸となって開発しているのが「時空間多次元集合データ分析」。なにやら難しい言葉が並んでいるが、過去の一定期間のデータから、数時間程度未来に起こる事象の発生時間と場所を予測する技術だ。NTTによれば「時間」と「場所」を同時に特定する予測は従来は難しかったという。

 この技術を人の流れに適用して、将来の混雑を予測する。混雑が予測できれば、例えば、空港からの電車の混雑具合を予測し、混雑する時間帯はシャトルバスに誘導する、レストランの行列を予測し、空いているレストランに誘導する、といったことが可能になる。この結果、待ち時間が減り、人々のイライラを少しでも緩和できるわけだ。前述した羽田空港の実証実験でも人流予測から比較的空いている出国手続きの窓口をプロジェクションマッピングを利用して表示するといったことを実験している。

混雑する場所をプロジェクションマッピングを使って、案内する実証実験
混雑する場所をプロジェクションマッピングを使って、案内する実証実験

 さらにイベントを活用することで人流予測の実証実験は着々と進んでいる。2016年1月には、niconico(ドワンゴが運営する動画サービス)が主催する「闘会議2016」で、会場内の混雑度をリアルタイムに把握。その結果を来場者には、「niconico event+」と呼ぶアプリを通じて混雑度マップとして提供した。自分の現在位置とブースの混み具合が一覧できるので、参加者の安全な回遊を支援できたという。一方、運営会社であるドワンゴには、数十分先の混雑状況を提示し、混みそうなブースにはあらかじめ参加者が流入しないように誘導するといった検証を行った。

混雑度マップ。自分の位置と会場の混み具合を一覧できる
混雑度マップ。自分の位置と会場の混み具合を一覧できる

 さらに2016年4月に開催され、15万人以上が来場した大規模イベント「ニコニコ超会議」(主催:ニコニコ超会議 実行委員会)でも、会場内の巨大スクリーンに「超混雑度マップ」を設置するなどの検証を実施。新しい人流予測のアルゴリズムを試すとともに、オリジナルグッズの配布告知から人の流れがどのように変化するかなどの実験を行ったようだ。こうした実証実験からさまざまなデータを取得することで、予測精度は順調に向上しており、2017年はイベント全体の人の流れを最適化するためのシナリオを試す計画という。

超混雑度マップ。数分後の混み具合などを表示
超混雑度マップ。数分後の混み具合などを表示

新しい観戦スタイルを実現するスマートスタジアム

 競技場に到着したら、後は試合を観るだけ、ということではない。試合を観戦する場面でも可能なおもてなしはある。単純な例では、選手の情報などを提供するWebサービスが考えられる。さらに2020年には、センサー技術などが進化して、個々の選手のスピードや心拍数、1位との時間差などをリアルタイムで確認できるかもしれない。そうなった場合に大切なのは、競技場でのWi-Fi環境だ。興味深い情報が提供されていてもスマホがネットにつながらなければ意味がない。

 NTTグループは2016年6月、サッカーJ1の大宮アルディージャのホームスタジアム「NACK5スタジアム大宮」を“スマートスタジアム”に進化させると発表。まずはそのインフラとして高密度Wi-Fiサービス「ARDIJA FREE Wi-Fi」を実現した。スタジアム全面に高密度に配置した40基以上のアクセスポイントと、アンテナの指向性を調整することで、大勢が一度にアクセスしても、快適にインターネットにつながるという。

NACK5スタジアムに設置されたWi-Fiのアクセスポイント
NACK5スタジアムに設置されたWi-Fiのアクセスポイント

 スタジアム内だけで楽しめる独自のコンテンツも用意する。テレビ埼玉のアルディージャ応援番組「Ole! アルディージャ」の再放送などをスタジアム内で無料配信。スカパー!の「Jリーグオンデマンド」もスタジアム内では無料で視聴できるようにした。このほか、団体観覧席「ビューボックス」では、備え付けのタブレットから注文できるフードデリバリーサービスも開始した。また、ARDIJA FREE Wi-Fiを通じて大宮駅周辺の店舗紹介やクーポンを配信するなど、地域振興を目指したデジタルマーケティングにも挑戦する。

 すでに7月2日の対名古屋グランパス戦からトライアルを開始。2016年中にサービスをさらに拡充する計画という。

スタジアム内だけで楽しめるコンテンツを用意。Jリーグオンデマンドが無料で視聴できる
スタジアム内だけで楽しめるコンテンツを用意。Jリーグオンデマンドが無料で視聴できる
ビューボックスではタブレットを使ってフードを注文できる
ビューボックスではタブレットを使ってフードを注文できる

疑似3次元映像でパブリックビューイングを進化させる

 訪日客のおもてなしとは少しずれるが、最後に紹介したいのが「イマーシブテレプレゼンス技術“Kirari!”」だ。これも難しい言葉が並んでいるが、単純にいうと3次元映像を活用して、あたかも目の前で試合が実際に行われているような高い臨場感を実現する技術だ。

 Kirari!を実現する技術は、背景と選手をリアルタイムに切り分けて伝送するといったものが中核。その実証実験も2016年5月の「Japan KABUKI Festival in Las Vegas 2016」で行っており、そのうちのひとつが遠隔舞台挨拶だった。ラスベガスで舞台挨拶に立った市川染五郎丈をリアルタイムに伝送し、羽田空港の会場に疑似3次元映像として表示。まるでその場で舞台挨拶が開かれているような映像が現れた。報道関係者との質疑応答も実施したという。

 Kirari!についても実証実験を引き続き進めていく。まずはフェンシングなど、選手の動く距離や範囲が限定されているものからスタートし、徐々に柔道などに広げていく計画。2020年までにサッカーなどの団体競技に対応できるかが注目されるところだ。

Kirari!の概念図。映像・音声を効率よく伝送するなど、たくさんの技術を使って実現する
Kirari!の概念図。映像・音声を効率よく伝送するなど、たくさんの技術を使って実現する

人工知能の活用が必須

木下真吾氏
木下真吾氏
NTTサービスエボリューション研究所 2020エポックメイキングプロジェクト 主幹研究員 プロジェクトマネージャ・研究部長

 ここまで、NTTグループの東京五輪への主な取り組みを紹介してきた。今後の課題として、NTTの2020エポックメイキングプロジェクト主幹研究員でプロジェクトマネージャ・研究部長の木下真吾氏は「もっとAI(人工知能)を活用すること」と話す。例えば、人流予測については、これまでのイベントから得られたデータをAIに学習させて、これとリアルタイムの混雑状況を組み合わせれば、予測精度のさらなる向上が期待できる。加えて、さまざまなサービスを直感的に利用できるようにするためにはAIを使った自然対話が不可欠なのは間違いない。

 今回紹介したおもてなしが4年後にどのくらい進化しているのか? NTTグループの取り組みに今後も注目していきたい。


(文/渡貫幹彦=日経トレンディネット)

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