この記事は「nikkei BPnet」に2016年11月14日に掲載された「羽生善治三冠、AIの進歩と実用化を阻害するものとは」を転載したものです。内容は基本的に掲載日時点のものとなります。

 前回、人間とAIの本質的な違いに迫った中島氏と羽生氏の議論は、「AIが人間に近づくことは、果たして望ましいことなのか」という話題から、「何が、AIの進歩に合わせた社会的なルール作りの障壁となっているのか」という現代社会の重要な課題の検討へと展開していきます。
(左:将棋棋士の羽生善治氏、右:東京大学特任教授の中島秀之氏)
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(文・構成/佐保圭、写真/涌井タダシ、協力/松原 仁=公立はこだて未来大学副理事長、高柳浩=公立はこだて未来大学 客員教授、撮影協力/日本ビジネスシステムズ)


AIも感情や美意識を持てる!?

中島秀之氏(以下、中島): 最近、喜怒哀楽のパラメーターを調節して「感情を持ったプログラム」と称するAIもありますが、あれは、まやかしものだと思っています。コンピュータに感情を持たせるとしたら、それはコンピュータなりの生存に結びついた形の何かだと思うからです。当然、生存に有利だと思えばうれしいでしょうし、不利だったら悲しい。攻撃されたら怒る。そういうことだと思うんです。

羽生善治氏(以下、羽生): 今のところ、「電源を切られて生存を脅かされる」状態ではないですよね。

中島: 今後、AIが進んでいったら、そういう方向に行くというか、行かざるをえないと思います。人間がやっていることのコピーなら、今でもできるけど、機械なりの新しい仕事というのは、目的とか感情とか、それこそ美的感覚も持つようにならないと、できない。ただ、それは、人間のものと同じではないはずです。

羽生: それはモダンアートより難しい美的感覚かもしれません。

中島: どういうものか、予測するのは難しいんですけど、それをちゃんとつくりこんでいかないと、仮に「AIが勝手に目的を持てばいい」となれば、それこそ「人間はいない方がいい」っていう映画『ターミネーター』の世界みたいになるかもしれない。ただし、『バットマン』シリーズなんかを観ていると、「人間がいない方がいい」っていう人間もいるんですよね。要するに「人間がいない方がいい」と考える可能性があるのは、プログラムにかぎった話ではないんです。

羽生: 社会の中には、少しは常にあると思います。

中島: AIが、そういう目的や感情や美的感覚を持つようになったら、将棋の新手に関しても「こういうのは指したくない」っていうプログラムが、できるかもしれない。

羽生: たとえば、ロボットって、音声認識でも、画像認識でも、匂いの感知でも、人間よりも遥かに高度なセンサーを持つ可能性があるじゃないですか。

中島: ええ。

羽生: 仮に、そういう高度な感覚の情報が得られるようになって、受け取った感覚の情報にふさわしい振る舞いができるプログラムも持ったとしたら、そのときは、相当、思いやりと優しさに溢れたロボットになるのではないでしょうか。本当は、思いやりも優しさも持っていないんだけど、人間からみれば、なんだか、ものすごく“いい感じのロボット”になっている(笑)。感情も認識も持っていないんだけど、そう思えてしまうロボットが生まれるということは、十分にありうる話だと思うんですよ。

中島: そうかもしれません。

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中島秀之(なかしま・ひでゆき): 東京大学大学院情報理工学系研究科 先端人工知能学教育寄付講座特任教授、公立はこだて未来大学名誉学長。1952年、兵庫県生まれ。
1983年、東京大学大学院情報工学専門博士課程を修了後、同年、当時の人工知能研究で日本の最高峰だった電総研(通商産業省工業技術院電子技術総合研究所)に入所。協調アーキテクチャ計画室長、通信知能研究室長、情報科学部長、企画室長などを歴任。
2001年、産総研サイバーアシスト研究センター長。2004年、公立はこだて未来大学の学長となり、教育と後輩の育成、情報処理研究の方法論確立と社会応用に力を注ぐ。2016年3月、公立はこだて未来大学学長を退任後、同年6月、同大学の名誉学長に。