きっかけが分からないほど小さいころからの鉄道好き

 「きっかけを聞かれても答えられないほど、物心が付いた頃からの鉄道好き」と答える向谷氏。幼少期は最寄り駅だった二子玉川園駅(現・二子玉川駅)を走る東急大井町線、玉電(東急玉川線。1969年に廃止)とその支線の砧線をよく見に行っていたそうです。

 小学校2年生のときに東海道新幹線が開業。父親に「片道だけ乗せてあげる」と言われて、わくわくしながら乗車したものの、買ってもらった切符の乗車区間は東京~熱海間。この区間で時速200kmを体感することはほぼ叶わず、「新幹線はあまり速くないという思い出だけが残った」と笑います。

 「僕が生まれた頃は、まだ『鉄道ファン』という言葉がなかった時代。男の子が憧れる「ハイテクなもの」が当時は鉄道だった。0系新幹線を見て大興奮していたし、ガンダムに憧れるような感じで、鉄道に憧れていたような気がする」

 向谷氏が特に夢中になったのが、SLの撮影。煙がたくさん出る登り勾配を狙ってカメラを構えていたそうです。当時はSLの営業運転が終了する直前だったので、撮影場所を求めて北海道まで足をのばし、網走~釧路間まで撮りに行ったこともあるそう。「まだインターネットが普及していない時代に、臨時列車など普段見かけない列車を自力で調べて撮影するのが醍醐味だった」と、向谷氏は振り返ります。

プロのミュージシャンになっても、飛行機やクルマで移動するメンバーとは別行動し、 1人だけ電車移動していたそうです。「大人になっても鉄道への情熱は冷めるどころか増していった」と向谷氏は話します
[画像のクリックで拡大表示]

趣味で作ったゲームが鉄道会社の教育用ソフトに採用

 幼少期から鉄道を愛し、大きなイベントまで立ち上げた向谷氏。現役の運転士から「小さい頃に向谷氏が作った『トレインシミュレータ』で遊んだのをきっかけに、運転士を志した」と言われるのがなによりうれしいと話します。

 向谷氏が実写版鉄道運転シミュレーションゲーム「トレインシミュレータ」を作ろうと思い立ったのは、カシオペアがリリースしたCD-ROMがきっかけでした。そのCD-ROMは高額だったこともあってあまり売れなかったそうですが、「CD-ROMに音だけでなく何か動くものを入れたいと考え、電車の運転席から撮った映像を入れた運転シミュレーションゲームの開発を思いついた」と向谷氏。1995年に家庭用コンピュータゲームとして発売。2001年にはPlayStation 2専用のゲームも発売し、その後はPlayStation 3、PSP専用ゲームも手がけています。

 2006年にはハイビジョン映像を使用した5000系大型シミュレータを開発し(東急テクノシステムとの共同制作)、東京急行電鉄の東急教習所に納入。家庭用のゲームだったトレインシミュレータシリーズが、ついに鉄道会社の教育用ソフトに採用されるまでになりました。その後もいくつかの業務用の鉄道運転シミュレーションシステムを制作しています。