日経BPnet セカンドステージに「くるまのわざ」として連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2008年7月24日です。記事の内容は、執筆時点の情報に基づいています。

「オースティン・ヒーリー」ブランドの誕生

オースティンの量産部品を使って、ヒーリーが企画した英国の小型スポーツカー 、オースティン・ヒーリー・スプライト。安価だがホンモノのテイスト
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 長い名前だが、名前はそのままこのクルマの成り立ちを物語っている。今からちょうど半世紀前、1958年に量産が開始された英国製の小型スポーツカーである。英国やイタリアなどでは、片方でクルマ産業が発達しつつも、もう片方ではクルマ好きの個人のパワーが実際の生産車に結びつく例が少なくなかった。つまり、クルマづくりが大規模の基幹産業としてしか生き残れなくなった近年とはちがう、佳き時代のことである。

 このクルマは、ドナルド/ジェフリーというヒーリー父子が、当時の量産車であるオースティンのパーツを使ってつくり出したスポーツカーがシーズとなっている。

 面白い話がある。それはこのスプライトの姉妹モデルのオースティン・ヒーリー・ハンドレッドを発売した時のことだ。ロンドンのモーターショーにヒーリーさんは個人出品の形でヒーリー・ハンドレッドを展示する。同じようにオースティンのエンジンなどを使って造ったオリジナルのスポーツカーだ。視察に来たオースティンのボス、レン・ロード(レオナルド卿)がその作品を見るや、ヒーリーさんに近寄ってきて右手を差し出し、「よし、これを私のところでつくろう!」と。早速翌日には、ヒーリー・ハンドレッドのエンブレムはオースティン・ヒーリー・ハンドレッドに付け替えられ、「オースティン・ヒーリー」ブランドも誕生したという。

 われわれには「伝説」のように聞かされていた話だが、ジェフリーさん本人に事実だと確かめたことがある(「オースティン・ヒーリー 英国車の愉しみ」草思社)。佳き時代の英国では、こういったことが実際に起こり得たのである。