日経BPnet セカンドステージに「くるまのわざ」として連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2007年9月6日です。記事の内容は、執筆時点の情報に基づいています。

日野の最初にして唯一の乗用車がコンテッサ

美しいフォルムを見せる日野コンテッサ・クーペ1300。ボディ・デザインはイタリアのミケロッティで、数々の賞を受けた佳品
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 「日野(自動車)」「いすゞ(自動車)」」といった、いまではトラック・メーカーのように思われているブランドが、乗用車にも意欲的であった時代がある。それこそわが国のメーカーすべてが発展途上にあった時代。まだいろいろな可能性があった、見ようによっては旧き佳き時代、すなわち1960年代以前のことである。

 日野はもともとヂーゼル自動車工業(のちのいすゞ自動車)の日野工場が1942年に分離独立して誕生した。戦後、日野ヂーゼル工業になり、トラック、バスなどを中心に着実に発展していたが、やがて乗用車の時代の到来を見越し、小型乗用車生産を決定する。

 その最初は海外メーカーのノックダウン生産からで、昭和の情景のひとつにもなった「日野ルノー」が思い出されよう。それは仏ルノー公団との契約によるもので、1953年に契約を結び、ルノーの代表的小型大衆車であったルノー4CVを1963年生産中止するまで10年にわたって生産した。最初は部品を輸入しての組立てだけだったが、生産システムを構築し1957年時点で全部品の国産化ができるまでになっていた。

 そうしたバックグラウンドのもと、いよいよ日野は自身のブランドでの乗用車生産に乗り出すのだが、その最初にして唯一のモデルがコンテッサであった。