日経BPnet セカンドステージに「くるまのわざ」として連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2007年7月5日です。記事の内容は、執筆時点の情報に基づいています。

低迷していた日産のターニングポイント

日産Be-1は、特異な存在として思い起こされる。クルマそのものはマーチをベースに、独自のデザインのボディを組み合わせたもの
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 日産Be-1、どれほどのヒトが憶えているのだろうか。こうしてその写真を見たりすれば、際立ったスタイリングの小型車が、一時的にではあるがブームのように迎えられたのを思い出す。それとともに、日産がいくつもの興味深い「意見広告」を出稿していた記憶も甦ってくる。

 それは昭和の終わり頃の話である。日産自動車は低迷していた。もう10年遡れば、トヨタと並んでなんとか「ニ強」の地位を保っていた日産自動車が、昭和59年(1984年)には国内年間生産車台数のシェア20%を割り込み、昭和61年(1986年)には営業損益で初の赤字に転落していた。歴史はあとから振り返るといろいろなことが解ってくる。日産はいうなれば硬直状態にあった。組織の硬直、思考の硬直、加えて市場の硬直もあった。

 日産Be-1はそんな折り、昭和62年(1987年)1月に発売になったのだが、振り返ってみると、Be-1なる小型車が日産のターニングポイントを象徴していたように思える。ハードウェアの点から見れば、特に見るべき点も持たないこの小型車がもたらしたもの。それは、そのまま世の中がハードウェアよりもソフトに反応する時代に移っていたことを教えてくれたのではあるまいか。