日経トレンディネットと新宿の「TSUTAYA BOOK APARTMENT」によるコラボレーションイベント「ビジネスの極意は漫画家に学べ」。TSUTAYA三軒茶屋店の書店員でありながら数々の作品を全国的ヒットに導いてきた“仕掛け番長”栗俣力也氏が人気漫画家を毎回TSUTAYA BOOK APARTMENTに招き、ビジネスやコンテンツづくりの極意を聞き出す企画だ。第3回のゲストは、「アフタヌーン」(講談社)で連載中の歴史アクションエンターテインメント漫画『イサック』の原作者・真刈信二氏。「17世紀のヨーロッパを舞台に、火縄銃を武器に日本人傭兵が戦う」という大胆なアイデアは、どうやって生まれたのか。

真刈信二氏(写真右)。1993年、「モーニング」に掲載された『オフィス北極星』(作画・中山昌亮)で漫画原作者デビュー。2013年より2015年まで「アフタヌーン」にて『スパイの家』(作画・雨松)を連載。『イサック』の最新巻は2018年3月に発売
真刈信二氏(写真右)。1993年、「モーニング」に掲載された『オフィス北極星』(作画・中山昌亮)で漫画原作者デビュー。2013年より2015年まで「アフタヌーン」にて『スパイの家』(作画・雨松)を連載。『イサック』の最新巻は2018年3月に発売

史実を下敷きに発想を膨らませる

TSUTAYA三軒茶屋店 栗俣力也氏(以下、栗俣): 真刈先生が原作を担当する『イサック』の主人公は「海外で活躍する侍」ですが、どうしてこのような題材を選んだのか、きっかけを教えてください。

 真刈信二氏(以下、真刈): 昔から中世の末期、宗教改革の時代に興味がありました。確か十代の頃に読んだ『東洋史と西洋史とのあいだ』(飯塚浩二著、岩波書店)という本に、銃についてかなり詳しい記述があるのですが、そのなかに「東洋起源の銃の方が、命中精度が高かった」という内容がありました。日本の銃はバネが良かったということらしいです。

 さらに、昔見たヨーロッパの地図で、ヨーロッパ各国のさまざまな兵士、竜騎兵や槍騎兵、歩兵などがずらりと描かれもののなかに、背丈よりも長い銃を持った、日本人のマスケティア、銃士というのが1人だけ出てきたんです。だぶだぶの服を着て、パッと見は日本人に見えないのですが、「マスケティアジャポン」か「ジャポネ」と書いてあった。それがずっと記憶に残っていました。あるとき本を読んでいたら、徳川時代の初期に日本人がヨーロッパに向かっていったという話が出てきて。ヨーロッパにも日本人の裁判記録などが残っていて、ちゃんと日本人と書かれているんですよ。スペイン経由で行った人間もいれば、バタヴィア経由、オランダ経由の人間もいるようでした。

 とはいえ、実際に海外で戦った日本人がいたかどうかは分かりません。文献で確認したこともありません。でも、これほどたくさんの日本人がヨーロッパに向かっていったのなら、1人や2人くらい戦った日本人がいても不思議ではないと思います。そういう史実を下敷きにして、「最高の火縄銃を持って2人の日本人がヨーロッパに行く」というのはフィクションとしては成り立つだろうと。まったくの荒唐無稽ではないだろうと考えました。

『イサック』3巻(2018年3月発売)。2つの勢力に別れ、後に三十年戦争と呼ばれる激しい戦いの最中にあった17世紀の神聖ローマ帝国。そこに傭兵として現れたのは「イサック」と名乗る日本人の男だった。原作は真刈信二氏、作画はDOUBLE-S氏が担当
『イサック』3巻(2018年3月発売)。2つの勢力に別れ、後に三十年戦争と呼ばれる激しい戦いの最中にあった17世紀の神聖ローマ帝国。そこに傭兵として現れたのは「イサック」と名乗る日本人の男だった。原作は真刈信二氏、作画はDOUBLE-S氏が担当

フィクションを真実らしく見せるコツとは?

栗俣: 時代設定はどうやって絞り込んでいったのでしょうか。

真刈: 歴史ものをやりたいという気持ちはもともと持っていたので、『勇午』の連載が終わった段階で日本を舞台にした作品と海外を舞台にした作品をいくつか考えました。

本当は、『イサック』の時代より100年くらい前にいた、トマス・ミュンツァーという宗教改革家の話を描きたいと思っていたのです。若干異常なユートピアを強烈に突き進めようとして戦ってひどい殺され方をした、ヨーロッパの宗教史上の極端な異端とされているグループが、当時のドイツには存在したのです。

 その時代が一番好きなのですが、日本とはどうしても合わないんです、歴史が。その点、ぴったり合うのはイサックの舞台となった三十年戦争(編集注: 1618年から1648年に、かつて神聖ローマ帝国だった現在のドイツを中心に行われた戦争)だった。三十年戦争は期間が長く、戦いと戦いの間に間隔がある(編集注:三十年戦争は休戦や和平によって何度か中断されている時期がある)という問題がありました。でも、(1615年の)大坂夏の陣が終わってから戦いにいくとすると、三十年戦争しかなかったんです。

栗俣: そうした歴史的事実が背景にあることが、『イサック』が“歴史好き”に愛される理由なんですね。

真刈: 歴史的事実は商売道具です。でも、歴史ものは『勇午』やほかの作品にはなかった不安を感じることはあります。おそらく、自分よりもはるかに詳しい人がいるだろうと。だから、ときどき自信をなくすこともあります。

栗俣: フィクションをつくるときのコツのようなものはありますか?

真刈: 漫画の原作としてフィクションを手がけ始めて、何作目かで感じたことがあります。話の中心にできるだけ大きな嘘を1つ作り、史実や学術的な話などの事実で固めると、中心の一番大きな嘘が、さも真実のように生きてくるということ。いつも根本は「嘘」なんです。『勇午』もそうでしたが、単行本を出すときに講談社の校閲から問い合わせが来るんですよ。「この大事なところが、いくら調べても分からない」と。申し訳ないけれど、それは嘘なんですよと答えたことが何度もありました。

栗俣: 『勇午』を読むと、まるで全て事実であるかのように感じられます。

真刈: 『勇午 マグダラのマリア編』にはキリストのクローンをつくる場面がありますが、さまざまな酵素を入れて遺伝子の二重らせんを解き、また新しい酵素を加えてそのらせんを元に戻すという説明があります。校閲からは「そのなかの1つの酵素がいくら調べてもどこにも出てこない」と。実は、ほかの酵素は全部実際にあるもので、校閲が分からなかった1つの酵素だけが「嘘」。種明かしすると、ほかのエピソードも同じようなものです。

「薄く広く」持っている知識でアイデアを練る

栗俣: 『イサック』はもちろん、真刈先生は作品ごとにどんどん新しい内容にチャレンジしていきますよね。

真刈: 新しいことにチャレンジしているつもりは全くありません。好きなこと、ずっと興味を持ってきたことがどこかでちゃんと結び付いて、“ぼわーっ”と1つになっているという感じですね。だから、「今まではこっちのジャンルだったけれど、次はこっちのジャンルに挑戦」というつもりはないんです。

   子どもの頃、父親から「男というものは1つのことをとことん追究するものだ。お前のように物事を広く薄くしか知らない人間は最低だ」とよく言われました。こちらもいい年になってから、「昔、おやじによく言われたように、薄く広く知っていることを生かして仕事にしてきた」と言ったら、父親は嫌な顔をしていましたが(笑)。

役に立たない知識でも、「知る」ことが大事

栗俣: 『イサック』の次にこんなものを描きたいという構想はありますか?

真刈: 実際に、今進めているものがあります。以前、『スパイの家』という漫画を連載していましたが、スパイを題材にしたきっかけは、朝日新聞を辞めてプロの探検家になったという角幡さん(編集注:角幡唯介氏。1976年生まれのノンフィクション作家、探検家)の本でした。「私はみんなが就職を考える時期になっても、地理的に今も知られていない土地を探検する19世紀的な探検家になりたかった」というようなことを書いてあるあとがきを読んで、「自分が一番なりたかったものは一体なんだったんだろう」とそのとき初めて考えたんですよ。

   そうやって考えたときに出てきたのが、スパイだった。子どもの頃から憧れていたんですよ。それをもとに『スパイの家』という作品ができましたが、まだ描き足りないと感じています。

栗俣: スパイに関して。

真刈: そうです。ただ、一番面白いと思う中東がなかなか自由に取材できないという問題があります。中東は大好きな場所なのですが。

栗俣: 知識欲がとても強いんですね。

真刈: どんなことでもいいのですが、「知る」ことが好きなんです。何の役に立つというわけではなくても、これまで知らなかったことが分かって「へえ、そうだったんだ」と思える瞬間がとても好きです。

(構成/樋口可奈子、写真/稲垣純也)

真刈信二氏が出演するイベントを下記の通り開催します。
イベント名:『ビジネスの極意は漫画家に学べ(第2回イサック)』
日時:2018年4月26日(木)19:00~21:00(チケット販売は18:00〜、開場は18:50)

会場: TSUTAYA BOOK APARTMENT4階 COWORKING SPACE(03-5315-4077)
料金: 税抜き2500円(イラスト入り直筆サイン入りの『イサック』3巻とドリンク付き)
申し込み方法:店舗に直接電話で問い合わせ。定員(30人)に達し次第、受付終了
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