新たなマーケティングツール、消費者向けのプレゼンテーションツールとして、全方位を見られる360度動画などVR(Virtual Reality、仮想現実)を活用する企業が増えている。VRという“これまでにない体験”を使って、消費者に自社の製品・サービスをアピールしようというわけだ。

 VRに注力する業界の代表格が、旅行関連の業界。遠くてなかなか行けない場所でも、VRなら簡易的に下見(=疑似体験)ができる。

H.I.Sは店舗にVRゴーグルを導入

 2015年3月という比較的早い時期からVRを活用し始めたのが旅行代理店のエイチ・アイ・エスだ。新宿にあるハワイ専門の店舗「H.I.S. Hawaii 新宿三丁目」に、ハワイで撮影した360度動画を視聴できるVRコーナーをオープンと同時に設置した。

「H.I.S. Hawaii 新宿三丁目」で使用しているのは、高性能なVRゴーグルの「Oculus Rift」
「H.I.S. Hawaii 新宿三丁目」で使用しているのは、高性能なVRゴーグルの「Oculus Rift」

 体験できる動画はハワイの海岸など観光地を360度カメラで撮影したもの。上を見ればハワイの青い空が広がり、周囲を見ればビーチでくつろいでいる観光客の姿が、足元を見れば海岸の砂浜が目に入る。現地で海岸を歩いている気分が味わえる内容となっている。しかも、視聴にはVR専用のゴーグル「Oculus Rift」を使うなど、没入感と画質にもこだわった。

【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入行動にVRが大きく影響する
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「きっかけ」と「後押し」になるVR

 エイチ・アイ・エスによると、このVRコーナーを設けたのは、「VRが旅へのきっかけを生み出すツールになる」と考えたからだという。ハワイは非常に人気が高く、リピーターも多い旅行先だ。そこで、ハワイ専門店では、旅行の予約や相談を受け付けるだけでなく、ハワイアン雑貨の販売やハワイ関連のワークショップを実施するなど、気軽に立ち寄り、ハワイの魅力を楽しめる店舗にすることを目的にした。VRを導入したのも、ほかの店舗にはないVR体験を来店のきっかけにするためだ。

 オープンから1年半ほどになるが、VRを目当てに訪れる人が後を絶たない。土日ともなると、来店者が入れ替わり立ち替わり体験していくという。来店のきっかけを促すツールとしては、十分な役割を果たしている。

 VR体験で旅の気分を盛り上げることで、実際に現地に行きたい、旅行プランを申し込もうという気持ちを後押しもできる。また、旅のイメージが具体化することで、顧客が自分のニーズに合ったプランを選びやすくなるメリットもあるようだ。というのも、従来からあるカタログや写真、動画によるプロモーションでは、売り手側が見せたい部分のみを見せる形になり、それを見て旅行に行っても、顧客からは「想像していたのと違う」という不満が出かねない。それに対して、360度動画では顧客に見たい部分を自分で選んで見られるので、「想像していたのと違うという反応を減らすことにつながっているのではないか」(エイチ・アイ・エス広報)とVRの効果を分析する。

 2014年にはハコスコのような簡易的なVRゴーグルを使ったプロモーションを開発、旅行関連の展示会に出展したこともあるが、「当時はまだVR自体が知られていなかったため、話題にならなかった」(エイチ・アイ・エス広報)。だが、今回のハワイ専門店舗に設置したVRコーナーの反応は良い。もちろん、VRの認知が上がったこともあるが、360度動画を簡易的なものではなく高画質にした点も大きいといえそうだ。VRといえども、顧客の期待を裏切ってはいけないということだろう。

 現時点でVRコーナーを常設しているのはハワイ専門店のみ。だが、期間限定で他店でもVRコーナーを設けたり、2016年9月に開催された旅行関係の展示会では360度動画を使ったイタリア、スペイン旅行の説明会を先行公開したりしており、今後、各店舗でも随時、導入を検討していくという。

JALが新型航空機の紹介に活用

 旅行関連の業界では、日本航空(JAL)もVRを活用し始めた企業のひとつ。2016年2月から360度動画の配信を開始した。内容は、国際線で従来よりも足元のスペースが広い座席を導入した「JAL SKY SUITE」の広さや快適さを実感してもらうものだ。

 360度動画では、航空機に搭乗するところから始まって、座席に座り、前のシートの背面に付いているモニターを操作したり、機内食をとったりという一連の行動を乗客の目線で体験できる。H.I.S.と違い、YouTubeで公開されており、スマートフォンで自宅で視聴できる。ハコスコなどのVRビューワーがなくても、YouTubeアプリで動画を再生した状態でスマートフォンを自分の上下左右に向けることで、視点が変わり、周囲を見回せる。

動画では機内に乗り込み、座席に着いて、機内食をとるまでが2分程度で体験できる
動画では機内に乗り込み、座席に着いて、機内食をとるまでが2分程度で体験できる
周囲に座っている人が移動するときの距離感なども実感できる
周囲に座っている人が移動するときの距離感なども実感できる
キャビンアテンダントがサーブした機内食を食べるシーンもある。いずれもJALの360度動画から

自分のこととして引きつけるのにVRは最適

 360度動画を導入した理由について、JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任は「実体験により近いものを探していた」と話す。国際線の商品宣伝では、テレビCMやラジオ、雑誌などのマスメディアは主に商品やサービスの認知を高めるためのもの、ウェブサイトは顧客にその商品やサービスの価値を「自分のこと」として引きつけて判断してもらうためのものと考えている。

 「JAL SKY SUITEについても、テレビCMなどでだいぶ認知は進んだと思う。次は、座席を予約する際、自分のこととして引きつけて『じゃあ、乗ってみるか』と背中をひと押ししてくれるコンテンツが必要だった」(波多野主任)。ただ、航空機の快適さは、従来のような写真や動画、文章ではなかなか伝わらない。足元の広さ、前の座席との距離など、体感でしか得られない情報を伝えるために、自分の視点で航空機内を体験できる360度動画の導入に踏み切った。

JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任
JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任

 YouTubeでの配信を選んだのは、誰でも手軽に試してもらいたかったからだ。ただ、Oculus RiftなどのVR専用ゴーグルのコンテンツと比較すると、画質や没入感は落ちる。この問題を克服し、見ている人の実感をより高めることが大きな課題だった。

 そこで、足元の広さや機内装備を単純に説明するだけでなく、機内で起こるシチュエーションを360度動画に盛り込んだ。近くのシートに座っている人が席から移動するシーンや、機内食を食べるシーンなど、「あるある」と思えるような具体的なシチュエーションを用意したのだ。これにより、実際に飛行機に乗っているという疑似体験を強化したわけだ。

 一方で、足元の広さなどアピールしたいポイントに見ている人の注意を促す方法も工夫した。見る人が自由に視線を動かせるVRの場合、アピールポイントに気づかないまま動画が終わってしまうことがあるからだ。リアルな空間にはない矢印やキャプションをあえて表示させ、視線をうまく誘導することに成功したという。

動画のところどころに「ATTENTION」という文字や矢印、空間を示す箱の画像などをあえて表示させて、映像を見る人の視線を誘導している

 顧客からは好意的な感想が多いという。「CMではJAL SKY SUITEは広いと言っていたけれど、どれくらいなのか分からなかった。360度動画で実感できたという声が寄せられている」(波多野主任)。それでいて、「制作コストはあまり高くない」と波多野主任。今回の360度動画を制作した映像制作会社のViiberには過去に一般的な動画の制作も依頼したことがあるが、そのときと比較して、コストや手間はあまり変わらなかったという。

 波多野主任は「新たな機体を導入するときやVRの技術が進んだときには、また新たなコンテンツを用意したい。将来的には、360度動画の中で機内食を選べるなど、見ている人の選択によって体験内容が変わるインタラクティブ性を持たせられるといい」とVR活用の展望を話す。

 旅のように「体験」自体を売る商品やサービスは、実際に体験してみないとその魅力が分からないというジレンマを抱えている。テレビCMやカタログを工夫してみても、それはサービス提供者のアピールポイントを一方的に発信するツールでしかなく、顧客に魅力を実感してもらいにくい。だからこそ、顧客が実感に近い体験を試せるVRが、新たなプレゼンテーションツールとして存在感を発揮するだろう。

【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入行動にVRが大きく影響する
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(文/湯浅英夫=IT・家電ジャーナリスト、平野亜矢=日経トレンディネット)

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【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入行動にVRが大きく影響する
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「きっかけ」と「後押し」になるVR

 エイチ・アイ・エスによると、このVRコーナーを設けたのは、「VRが旅へのきっかけを生み出すツールになる」と考えたからだという。ハワイは非常に人気が高く、リピーターも多い旅行先だ。そこで、ハワイ専門店では、旅行の予約や相談を受け付けるだけでなく、ハワイアン雑貨の販売やハワイ関連のワークショップを実施するなど、気軽に立ち寄り、ハワイの魅力を楽しめる店舗にすることを目的にした。VRを導入したのも、ほかの店舗にはないVR体験を来店のきっかけにするためだ。

 オープンから1年半ほどになるが、VRを目当てに訪れる人が後を絶たない。土日ともなると、来店者が入れ替わり立ち替わり体験していくという。来店のきっかけを促すツールとしては、十分な役割を果たしている。

 VR体験で旅の気分を盛り上げることで、実際に現地に行きたい、旅行プランを申し込もうという気持ちを後押しもできる。また、旅のイメージが具体化することで、顧客が自分のニーズに合ったプランを選びやすくなるメリットもあるようだ。というのも、従来からあるカタログや写真、動画によるプロモーションでは、売り手側が見せたい部分のみを見せる形になり、それを見て旅行に行っても、顧客からは「想像していたのと違う」という不満が出かねない。それに対して、360度動画では顧客に見たい部分を自分で選んで見られるので、「想像していたのと違うという反応を減らすことにつながっているのではないか」(エイチ・アイ・エス広報)とVRの効果を分析する。

 2014年にはハコスコのような簡易的なVRゴーグルを使ったプロモーションを開発、旅行関連の展示会に出展したこともあるが、「当時はまだVR自体が知られていなかったため、話題にならなかった」(エイチ・アイ・エス広報)。だが、今回のハワイ専門店舗に設置したVRコーナーの反応は良い。もちろん、VRの認知が上がったこともあるが、360度動画を簡易的なものではなく高画質にした点も大きいといえそうだ。VRといえども、顧客の期待を裏切ってはいけないということだろう。

 現時点でVRコーナーを常設しているのはハワイ専門店のみ。だが、期間限定で他店でもVRコーナーを設けたり、2016年9月に開催された旅行関係の展示会では360度動画を使ったイタリア、スペイン旅行の説明会を先行公開したりしており、今後、各店舗でも随時、導入を検討していくという。

JALが新型航空機の紹介に活用

 旅行関連の業界では、日本航空(JAL)もVRを活用し始めた企業のひとつ。2016年2月から360度動画の配信を開始した。内容は、国際線に導入した従来よりも足元のスペースが広い機体「JAL SKY SUITE」の広さや快適さを実感してもらうものだ。

 360度動画では、航空機に搭乗するところから始まって、座席に座り、前のシートの背面に付いているモニターを操作したり、機内食をとったりという一連の行動を乗客の目線で体験できる。H.I.S.と違い、YouTubeで公開されており、スマートフォンで自宅で視聴できる。ハコスコなどのVRビューワーがなくても、YouTubeアプリで動画を再生した状態でスマートフォンを自分の上下左右に向けることで、視点が変わり、周囲を見回せる。

動画では機内に乗り込み、座席に着いて、機内食をとるまでが2分程度で体験できる
動画では機内に乗り込み、座席に着いて、機内食をとるまでが2分程度で体験できる
周囲に座っている人が移動するときの距離感なども実感できる
周囲に座っている人が移動するときの距離感なども実感できる
キャビンアテンダントがサーブした機内食を食べるシーンもある。いずれもJALの360度動画から

自分のこととして引きつけるのにVRは最適

 360度動画を導入した理由について、JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任は「実体験により近いものを探していた」と話す。同社では、テレビCMやラジオ、雑誌などの既存メディアは商品やサービスの認知を高めるためのもの、ウェブサイトは顧客にその商品やサービスの価値を「自分のこと」として引きつけて判断してもらうためのものと位置づけている。

 「JAL SKY SUITEについても、テレビCMなどでだいぶ認知は進んだと思う。次は、座席を予約する際、自分のこととして引きつけて『じゃあ、乗ってみるか』と背中をひと押ししてくれるコンテンツが必要だった」(波多野主任)。ただ、航空機の快適さは、従来のような写真や動画、文章ではなかなか伝わらない。足元の広さ、前の座席との距離など、体感でしか得られない情報を伝えるために、自分の視点で航空機内を体験できる360度動画の導入に踏み切った。

JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任
JALの宣伝部企画媒体グループの波多野力主任

 YouTubeでの配信を選んだのは、誰でも手軽に試してもらいたかったからだ。ただ、Oculus RiftなどのVR専用ゴーグルのコンテンツと比較すると、画質や没入感は落ちる。この問題を克服し、見ている人の実感をより高めることが大きな課題だった。

 そこで、足元の広さや機内装備を単純に説明するだけでなく、機内で起こるシチュエーションを360度動画に盛り込んだ。近くのシートに座っている人が席から移動するシーンや、機内食を食べるシーンなど、「あるある」と思えるような具体的なシチュエーションを用意したのだ。これにより、実際に飛行機に乗っているという疑似体験を強化したわけだ。

 一方で、足元の広さなどアピールしたいポイントに見ている人の注意を促す方法も工夫した。見る人が自由に視線を動かせるVRの場合、アピールポイントに気づかないまま動画が終わってしまうことがあるからだ。リアルな空間にはない矢印やキャプションをあえて表示させ、視線をうまく誘導することに成功したという。

動画のところどころに「ATTENTION」という文字や矢印、空間を示す箱の画像などをあえて表示させて、映像を見る人の視線を誘導している

 顧客からは好意的な感想が多いという。「CMではJAL SKY SUITEは広いと言っていたけれど、どれくらいなのか分からなかった。360度動画で実感できたという声が寄せられている」(波多野主任)。それでいて、「制作コストはあまり高くない」と波多野主任。今回の360度動画を制作した映像制作会社のViberには過去に一般的な動画の制作も依頼したことがあるが、そのときと比較して、コストや手間はあまり変わらなかったという。

 波多野主任は「費用対効果には満足している。新たな機体を導入するときやVRの技術が進んだときには、また新たなコンテンツを用意したい。将来的には、360度動画の中で機内食を選べるなど、見ている人の選択によって体験内容が変わるインタラクティブ性を持たせられるといい」とVR活用の展望を話す。

 旅のように「体験」自体を売る商品やサービスは、実際に体験してみないとその魅力が分からないというジレンマを抱えている。テレビCMやカタログを工夫してみても、それはサービス提供者のアピールポイントを一方的に発信するツールでしかなく、顧客に魅力を実感してもらいにくい。だからこそ、顧客が実感に近い体験を試せるVRが、新たなプレゼンテーションツールとして存在感を発揮するだろう。

【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入行動にVRが大きく影響する
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(文/湯浅英夫=IT・家電ジャーナリスト、平野亜矢=日経トレンディネット)

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