前回、前々回とVRのマーケティングへの活用事例を紹介してきた。最後はまだテストの段階で本格的に導入していないが、今後期待される分野でのVR活用事例を紹介しよう。

結婚式場をVRで見学

 まずは、結婚式場情報サイト「すぐ婚navi」を運営しているA.T.brides。同社は、360度動画で結婚式場の様子を見ながら、式を疑似体験できるコンテンツ「すぐ婚VR」を製作した。結婚式場の予約受け付けの繁忙期である2017年1月から、紹介カウンターで顧客が体験できるようにする計画だ。

「すぐ婚VR」の体験イメージ
「すぐ婚VR」の体験イメージ

 まだテストバージョンとのことだったが、その360度動画を体験させてもらった。動画は挙式する新郎や新婦の視点になっている。式場(チャペル)の扉の外に立っているところからスタートし、スタッフの案内とともに扉が開くと、目の前には結婚式当日のチャペルの様子が広がった。チャペルに入場したら、階段を降りて奥に見える祭壇に向かって歩いていき、祭壇で扉のほうに体の向きを変えるまでの流れだ。

「すぐ婚VR」で体験できる360度動画。新郎または新婦の視点で体験できる。写真は新婦の視点バージョン
「すぐ婚VR」で体験できる360度動画。新郎または新婦の視点で体験できる。写真は新婦の視点バージョン

 新婦の視点の動画では、横を見れば父親役がいて、前を見ると祭壇に新郎が待っている。再生中に顔の向きを上下左右に動かせば、チャペル内部の壁や天井の装飾、参列者の様子などが見回せる。扉から祭壇までの距離感や、歩くのにかかる時間なども疑似体験できる。挙式後の演出で人気があるフラワーシャワーの体験もできるという。

【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入行動にVRが大きく影響する
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式場選びの失敗を減らしたい

 A.T.bridesが「すぐ婚VR」を開発した背景には、ブライダル業界が抱える2つの課題がある。1つは潜在顧客に結婚式にいいイメージを持ってもらうこと、もうひとつは式場見学を手軽かつ実感を伴うものにすることだ。

 ブライダル業界では、結婚式を挙げない“なし婚”層の増加が問題になっている。結婚式を挙げるカップルが減ると、未婚の人が知人や親戚の結婚式に参加する機会も減る。そうした結婚式体験の少ない人は結婚式のイメージが持ちづらく、自分が結婚するときにも式を挙げない傾向にあるという。A.T.bridesの大崎恵理子社長は「業界にとって大事なのは、結婚式の体験を増やして、いいイメージを持ってもらうこと」と語る。この結婚式体験に「すぐ婚VR」を生かそうというわけだ。

 また、結婚式は費用がかかるのに、下見がうまく機能しないことが多かった。そもそも式場を見学する時間がなかなか取れないことはもちろん、見学に行っても使用中だったというケースもある。レストランの場合だと、通常営業中の様子を下見しても、結婚式向けのセッティングをした状態が分からない。さまざまな理由から、挙式当日の様子を具体的にイメージするのは難しい。

 沖縄やハワイといったリゾート地での結婚式になると、式場見学はさらに困難だ。「結婚式は多様化していてリゾート婚も増えている。しかし、式場が自分たちの希望にマッチするかどうか分からない不安があり、二の足を踏んでしまう人たちがいる。思い切って決断したものの、現実とイメージに差があり、がっかりしてしまう例もある。式場見学にかかる時間と距離をVRを使って縮められれば、需要の掘り起こしや式場選びの失敗回避につながるのではないか」(大崎社長)。

 そう考えた同社は、すぐ婚VRの開発を自社で開始した。実は、A.T.bridesはゲーム事業などを手がけるエイチームのグループ会社で、エイチームのVRコンテンツ製作の経験を生かした。撮影には市販されているリコーとコダックの360度カメラを使い、視聴にはVR専用ゴーグルである「GearVR」を使っている。

 機材の価格はカメラが3万~6万円で、撮影・編集・製作期間は2週間ほどだ。コストは、一般的な式場紹介ビデオを製作するのとさほど変わらないという。課題はむしろ操作性。「VRゴーグルをつけたまま操作するのは難しい。式場選びに来た男女がすぐに慣れて、視線を動かすだけで操作できるぐらい簡単でなければならない」(大崎社長)。すぐ婚VRの開発では、視線で動画を選べるようにするなど、操作性に最も注意したそうだ。

すぐ婚VRを体験する際に使用する機材。「GearVR」は1万5000円前後と安価で導入しやすい。ほかの取材でも多く見かけたVRゴーグルだ
すぐ婚VRを体験する際に使用する機材。「GearVR」は1万5000円前後と安価で導入しやすい。ほかの取材でも多く見かけたVRゴーグルだ

 テストバージョンの「すぐ婚VR」を今年の6月にブライダル業界向けの展示会に出展したところ、式場関係者からの反応は上々だった。新しいチャペルなど設備の豪華さを打ち出している式場からは「うちでもぜひやってみたい。VRで撮影してほしい」といったポジティブな反応が多かったという。リゾート婚を提供する会社からも良い反応があった。

 一方で、課題も浮き彫りになった。設備の豪華さや新しさではやや劣っていても、熟練した式場スタッフの気づかい、豊富な知識、進行のスムーズさなどで人気を得ている式場のなかには、「自分たちの良さが伝わりにくい」とネガティブな反応を示すところもあった。建物や設備を見るだけでなく、スタッフから受けるサービスまで含めて体感できる工夫が今後の検討課題である。

VRでまだ存在しないキッチンを疑似体験させるIKEA

 決断したものの、現実とイメージに差があり、がっかりしてしまうという意味では、家具やインテリア選びも同じ問題を抱えている。例えばソファーやテーブルなどの家具を買いたい、台所の設備を交換したいといったとき、Webサイトやカタログを見て、好みのデザインや必要な機能を備えたものを選ぶ。ここまではいい。

 難しいのは、それが自分の家に運び込まれたときどうなるかを想像することだ。部屋に置いたとき圧迫感がないか、ほかのインテリアとの相性はどうか、自分の身長・目線の高さで使いやすいか、といったことは、実際に設置して使ってみないと分からないことも多い。

 そこで、オランダに本社を置くイケアは2016年4月から、VRゴーグル「HTC Vive」用のゲームの配信プラットフォーム「Steam」でVRアプリ「IKEA VR Experience」の配信を始めた。

 「IKEA VR Experience」では、3DCGで描かれたシステムキッチンのVR映像が現れ、そこに入って装備の配置を確認したり、色を変えたり、引き出しを開けたりといったことができる。そのシステムキッチンを自宅に導入したときのイメージをVRを使って体験できるのだ。

IKEA VR Experienceの画面。インテリアの色を変えたり(左)、子どもや長身の大人の視点で台所を疑似体験できる(右)

 中でもユニークなのが、視点の高さを身長1メートルほどの子どもや1.95メートルほどの大人のものに変えられることだ。大人の視点だけでなく、子どもの視点でキッチンに入ってみてどう見えるか、子どもにとって危なくないかといったことを検討できる。CGを使ったVRならではの機能と言えるだろう。

IKEAの目的は返品を減らすこと

 イケアのVR担当チームによると、今のところ、「IKEA VR Experienceは顧客からフィードバックを得るのが目的で、販売促進に主眼を置いてはいない」という。残念ながら日本語版の提供も未定で、テスト導入という位置づけだ。

 一方で、同社のVR担当チームは「VRの利点は、店舗と同じように、空間内にインテリアを設置して顧客に体験してもらえること」と述べており、IKEA VR Experienceの中には今期のカタログを組み込んで、そこから商品を購入できるようにもしている。Steamに投稿されているユーザーの感想も8割が好評で、「まるでイケアの店舗に行っているようだ」「もっと体験できる部屋を増やしてほしい」といった意見があり、カタログの補助的なツールとしての期待は高い。

 また、イケアは2014年からAR(Augmented Reality、拡張現実)も取り入れている。日本を含め、各国で展開されている同社の商品カタログ「IKEAカタログ」のアプリ版では、「家具を配置する」を選ぶとカメラが起動して、画面に映る部屋の中にイケアで販売している家具を仮想的に配置できる。自分の部屋でこのアプリを使えば、そこに家具を置いたときにどれぐらいの大きさに感じるのか、色やデザインは合うのかといったことが具体的にイメージできるわけだ。

IKEAカタログのAR機能で、実際にはないテーブルを表示した様子
IKEAカタログのAR機能で、実際にはないテーブルを表示した様子
「IKEAカタログ」印刷版を床に置いてカメラを向けると、その表紙を自動で認識。ARで配置してみたい家具を選ぶと、印刷版のサイズを基準に家具のサイズを自動調整して表示してくれる

 イケアにとってのメリットは、返品を減らせることだ。「届いた家具が大きすぎる、イメージと違うといった理由での返品がある。手間や費用が発生するし、何より顧客をがっかりさせることにつながる」(イケア・ジャパンの鈴木心氏)。購入前に体験してもらうことで、返品数の削減が期待できるとしている。

 結婚式場選びは人生の一大イベント。家具は簡単には買い替えられない大きな買い物。レベルは違えど、出費が大きく、失敗は避けたい決断だ。だからといって、事前に試すことも難しい。VRで実際のイメージを体験できることは、顧客にとってメリットだろう。一方で、企業からしても、高額な製品やサービスであるほど、VRで実際に体験してもらい、顧客の不安や疑問を取り除けるアドバンテージは大きいと言えそうだ。

【特集】“ヒットを作るVR”~マーケティングに有効か?

 【第1部】JALやH.I.S.が導入
 旅のプランの決め手はVR
 【第2部】メルセデスと蔦屋書店が協業
 クルマも遊園地もVRに入っちゃう
 【第3部】IKEAはキッチンを再現
 VRで式場選びも家具選びも失敗しない
 【結論】活用法はゲームだけじゃない!
 消費者の購入活動にVRが大きく影響する
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(文/湯浅英夫=IT・家電ジャーナリスト)

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