「常に気にしているのは、次の小説をうまく書けるか」

作家として書き始めてから、目標というものはありましたか。今、その目標が達成されたと感じますか。

イシグロ:私の目標はかなり単純です。いつも「いい小説」を書きたいと思っています。世の中のためになっているとか、生涯をかけて何か目標を達成するために書いているという感覚はなく、小説を一つずつ書いているという感じです。常に気にしているのは、次の小説のことです。うまく書けるだろうか――、と。小説を書いているときも、これで成り立つのだろうか、とどこかの時点で評価を下さなければならないと感じます。自分の人生で、キャリア的に何か大きな目標を持ったことはありません。野心を抱いているわけではありません。とにかく次の小説を書き終えたい、という思いばかりです。

 自分としては、今の感じで進むのがいいと思っています。ノーベル文学賞のようなものを受賞して困るのは、そうなるといろんな人が受賞者の作品について、「彼(彼女)の作品の中でこの作品は…」みたいなことを言う人が出てきて、それはそれで一部の人の参考になるのかもしれませんが、そういう議論が出てくるのはちょっと…(と思います)。私としては、日々の小さな仕事に集中していきたいと考えています。

「スウェーデン・アカデミーとは、心温まる会話をした」

今日のスウェーデン・アカデミーとのやりとりについて教えて下さい。

「受賞は名誉だと感じる」と語るカズオ・イシグロ氏

イシグロ:そのやりとりは、私にとってはなかなかの驚きでした。というのも、私は誰かがノーベル賞を受賞したら、まず受賞者のところに連絡が来るものだと思っていたのです(だが、そうではなかった)。本日、電話を下さった(スウェーデン・アカデミーの)女性は大変感じがよく、いい意味でくだけていました。電話を受けた時、向こう側から何か正式な儀式のようなスピーチが読み上げられるのかと思っていましたが、彼女は大変リラックスした様子で、親切に優しい感じで、「(私に)受賞を受けて下さいますか」という言い方で伝えてきました。

 どうも最初の段階では、彼女は私がノーベル賞受賞を受け入れるとは思っていなかったようです。その後、私が大変多忙であることを考えて、「12月にストックホルムで行われる授賞式に来て下さいますか」と聞いてくれました。ですから、「喜んでうかがいます」と答えると、驚くと同時に大変喜んで下さいました。その後も、選考委員会がどのようにして私に授賞を決めたかなど素晴らしい話をしてくれましたが、その内容については、ここでは言及を避けたいと思います。とにかく、とても心温まる、落ち着いた会話でした。

ストックホルムに行くことについてどう感じますか。

イシグロ:大変楽しみにしています。休暇で何度か行ったことがありますし。

「英小説家シャーロット・ブロンテに最も影響を受けた」

あなたはジェーン・オースティン、フランツ・カフカ、マルセル・プルーストの作品に影響を受けているとおっしゃっていますが、どの作家が自身のスタイルに影響していると思いますか。

イシグロ:ジェーン・オースティンも、カフカもプルーストもみんな私にとっては大事な作家です。(英作家の)ジェーン・オースティンのことは大好きですが、作家としての私に最も影響を与えたのは英ヴィクトリア時代の小説家シャーロット・ブロンテだと言わざるを得ません。

 最近、(ブロンテの)『ジェーン・エア』をあらためて読みましたが、自分がこの作品からいかに多くを「盗ってきた」かに自ら驚いています。『日の名残り』についても、ブロンテの作風に似た表現が何度も出てきました。いかに自分がシャーロット・ブロンテにお世話になってきたかを認識しました。もちろん、ジェーン・オースティンは素晴らしい作家です。

 カフカは私にいろんな可能性を開いてくれたと思います。様々な異なる書き方というのを教えてくれました。私が思うに、カフカについては、書き方という点で、世界中の作家が今よりももっと参考にできる作家ではないかと思います。カフカは、書く技術という点でも、テーマ設定という意味でも様々な可能性を開きました。私たち作家は、カフカにもっと注目すべきだと考えます。私もカフカのことを意識するようにしてきましたが、彼ほどには新鮮に書くことができません。

 プルーストの一部の作品は、非常に退屈でスノビッシュ(お高くとまった感じ)な感じがします。ただ、素晴らしい時は、本当に素晴らしい。私が第1作(編集部注、1982年に発表した『遠い山並みの光』)を書き終えて、第2作(86年に発表した『浮世の画家』)を出すまでの間、彼は私に最も影響を与えた作家でした。

 彼は私の小説の書き方を決定的に変えました。彼は何か1本線の上を進むような形で小説を進めるのではなく、様々な考え方を合わせたような視点から小説を書く方法をみせたと思います。

(文/石黒 千賀子=日経ビジネス)

後編に続く)