「過去と向き合えるようになった時、人は楽になる思う」

 

 この日、ノーベル文学賞受賞者を発表したスウェーデン・アカデミーの事務局長を務めるサラ・ダニウス教授は、授賞者発表後のメディアによるインタビューに対して、「イシグロは極めて誠実な作家だ」と語った(ノーベル賞 公式サイト内ページの下部にある「Interview after the announcement」参照)。

 そして、記者から「イシグロのどの作品が最も好きか」と問われると、「彼の作品はどれも美しい…。私が最も好きなのは2015年に出版された『忘れられた巨人』だ。『日の名残り』も名作だと思う」「イシグロは、過去をどう理解するかについて深い関心を抱いている人物だ。彼がやろうとしているのは、作家プルーストが描いたような過去の過ちを償おう(redeem)とすることではなく、個人であれ、国であれ、生き抜いていくためには『どんなことを忘れなければならないのか』ということを考え抜いている」と語った。

 記者も会見で、「イシグロさんは、国や人間は『何を忘れて』『何を忘れまいとするか』を常にテーマの一つにされて来ました。その観点から今の世界をどう見ますか」との質問を投げかけた。

 すると、「その問いは、国家にとっては答を出すのが最も難しい問の一つでしょう。私は作家生活を続ける中で、そうした暗い過去を捨て去る個人というものに多くの時間を投じてきました。私たちが、どちらかと言えば“忘れ去りたい”と思っているものとどう対峙するのか、について書いてきました。しかし、本当に過去と向き合えるようになった時、人は楽になるものだと思います」との回答が返ってきた。

 ノーベル文学賞の選考委員会のメンバーも、混迷と不安を深めつつある今の世界を前に、まさにこのメッセージを世界に届けたかったのではないだろうか。

 会見はわずか20分だったが、前述した文面を読み上げた後の質疑応答は、どれも人間の本質に迫ろうとするイシグロ氏の一貫した姿勢と、その人柄を随所に感じさせるものだったので、ここにその全てを紹介しておきたい。

受賞をどうやって知ったか

おめでとうございます。今回のノーベル賞受賞をどのようにして知ったのでしょうか。

カズオ・イシグロ氏(以下、イシグロ):そんな前ではなく、少し前に知ったばかりです。私は自宅の台所にあるテーブルでeメールを書きながら、少し早めのランチでも食べようかと考えていたところでした(会場、笑)。実際には受賞をいつ聞いたのかと問われると、実はあまりはっきりしません。