これまで3回にわたって「スジか、量か」という日本人と中国人の判断基準について話をしてきた(関連記事「中国の人から受けるストレスの理由」「小銭を返さない中国人は、何を考えているのか?」「列に割り込む中国人は、怒られたらどうするか?」。このような発想の違い、ものの見方の違いは、日本と中国、双方の人々の行動に深い部分から影響を与えている。今回はお互いのコミュニケーションの観点から、「スジ」と「量」という2つの発想の違いを考えてみたい。

 だいぶ以前の話になるが、ウェブサイトのコラムに日本人と中国人のコミュニケーションの違いについて文章を書いたことがある。少し長くなるが、その一節を再録する。

 以前、ある日中関係の国際会議に参加した。構成は日本人が4割、中国人が6割ぐらい。壇上で発言するスピーカーの比率はほぼ半々だ。発表者の発言には同時通訳がつくので、一般参加者はヘッドセットをつけて、すべての発言を自国語で聞ける。同時通訳者のレベルは高いので、どちらか一方の言葉で聞いている限りほとんど違和感はない。しかし双方の発言を原語で聞いていると、そのギャップの大きさに驚かされる。

 日本人がマイクの前に立つと、まず10人中8人までがこんな調子だ。

 「えー、諸先輩方を差し置いて私のような若輩者が高いところから失礼ではございますが……」

 「えー、本日はわたくし、非常に準備不足でございまして、お聞き苦しいところもあるかと存じますが、ひとつご容赦のうえ……」

 「えー、ご指名を頂戴いたしましたが、実はこの分野はわたくし専門外でございまして、どれだけお役に立つお話ができますか少々心もとないのですけれども……」。

 謙遜であることはわかっている。ある意味、正直といえば正直なのだろうが、外国人とのつきあいが長いすれっからしの身からすると、誠にじれったい。本当に自分の話に中身がないと思っているのなら出てこなければいい。出てくるのなら、こんな前置きをしたところで意味はない。さっさと自分のベストを尽くして、後は聴衆の評価を待つしかあるまい。

 一方、中国人スピーカーの発言は様子が全く違う。

 「私はこのテーマの専門家であって、この問題を過去○年も専門的に研究してきた。その成果は世界的な○○学会で認められている」

 「今日の会議のために私は米国○○研究所の友人に問い合わせて最新のデータを用意してきた。本日ご来場の皆さんにだけ特別にご紹介する」

 「今日の私の話の中には、皆さんのビジネスの役に立つ内容がきっとあると確信する。最後まで聞いた方がお得ですよ」。

 出てくる人が例外なく堂々たる大演説をぶつ。とはいえ実のところ口上は立派だが、さほど周到な準備をしている人ばかりでもないし、目を見張るほどの専門性がある人ばかりでもないことは、中身を聞けば分かる。逆に口では卑下している日本人の発表が、それほど価値のないものだったり、準備不足だったりするとも限らない。

 要するにこれは中身の問題ではなく、プレゼンテーションの方法の問題であり、自己表現の仕方についての習慣の問題である。同じ習慣を共有した仲間内でのコミュニケーションなら不都合はないが、習慣の違う人々の間で意思疎通をしようとすると、これは結構難しい問題になってくる。

(引用ここまで)

出典:中国人はなぜ「大げさ」にものを言うのか~中国語コミュニケーションのメカニズム(「WISDOM」深層中国 ~巨大市場の底流を読む 第26回


 ここに書いたようなことは、程度の差はあれ、外国人を含めたコミュニケーションの経験をお持ちの方には思い当たるフシがあると思う。これはやや極端な例かもしれないが、いろいろと釈明や留保条件のついた日本人のまどろっこしい発言、表現が曖昧模糊として本意がよくわからない物言いはあちこちで耳にする。一方で、「白髪三千丈」ではないが、いかにも自信満々、オーバーな表現が鼻について、思わず「ホントかよ?」と突っ込みたくなるような中国人の大演説もたくさんある。