割り込みを注意されたこの中国人氏は「自分1人の割り込みは他人にさほど大きな影響を与えないだろう」という自らの判断で割り込みを実行した。しかしそこに自分とは認識の違う人間(私の友人)がいて、抗議を受けた。

 そこでこの中国人氏は「自分はこの人物(私の友人)の利益を侵害したのだ」と判断し、いったん列を離れ、私の友人の利害と無関係な位置に割り込み直した。つまりこの中国人氏は最後まで「割り込み=注意した人の利益侵害」と認識していて、「割り込み=ルール違反」という認識ではなかったことを示している。

 そして「割り込まれる側」にも同様の状況が存在する。

 例えば、駅の切符売場に並んで待っている時、自分の前に誰かが割り込んだらどうするか。   

 その瞬間、中国人の頭に自動的に湧き上がってくるのは
 「この人物が割り込むことで、自分が切符を買う時間がどれだけ遅れるか」
 ということである。

 力点はここでも「自分への影響の大小」にある。「割り込みはよくない」という世界一律の規範にあるのではない。ここがポイントである。

 その結果、誰かが列に割り込んだ行為に対して、怒る人と怒らない人が出てくる。自分が急いでいて一刻も争う事情がある人は、その割り込みに対して、その瞬間に大いに怒る。しかし一方で、あまり急いでいない人、時間に余裕のある人は、「まあ1人や2人割り込んだところで、致命的な影響は生じない。(もちろん愉快ではないが)たいしたことではない」と考えて、黙認する。

日本人の「スジ論原理主義」

 このようなことであるから、「列に割り込まれても中国人は怒らない」と一律に考えてしまうのも、実は間違っている。中国の人たちは、仮に割り込む人が1人なら、ほとんどの人は何も言わない。

 しかし、仮に割り込む人が1人から2人、3人、4人と増えていき、いつまでたっても列が前に進まない――といった状況になれば、急いでいる事情のある人から順に怒り始める。次第に怒る人が増えて、最後には全員が怒る。日本人はスジ論の人たちなので、おそらく全員が同時に例外なく怒り始めるはずだ。が、中国人は個人個人の状況に応じて怒るか怒らないかが変わる。

 渋滞の列に割り込まれた場合も理屈は同じだ。日本人は不思議なことに車を運転すると人が変わり、割り込まれた途端、パッシングしながら追いかけたりする。スジの通らない行動をした相手に私的制裁を加えようとする、一種の「スジ論原理主義」がある。「え、あの普段は冷静な人が……」と思うようなケースもあって、非常にこわい。

 中国人はこういう行動はしない。それは常に「スジ」ではなく、「量=現実的な判断」に基づいて行動する習慣がついているからだ。ここで言う「量」とは「自分の前に車が1台割り込むことで、目的地への到着時間がどれだけ遅くなるか」である。

 そう言われて考えてみると、割り込んだ車が1台であれば、それによって発生する到着時間の遅延は現実には微々たるものである。だから中国の人たちは普通の状況であれば問題にしない。割り込みという行為に対して「おおらか」なのである。