お金があろうとなかろうと、スジとして使うべきと判断したお金は使うし、使うべきでないお金は使わない。だから持っているお金の多寡に関係なく、みんな同じような行動を取る傾向が強い。

 お金の使い方を「スジで判断する」とはこういう意味である。
 自分自身のロジックより、社会が共有している「規範」が先に来る、という言い方もできる。

お金があるなら、ラクで便利なほうがいい

 では一方、お金の使い方を「払えるか払えないか」、つまり「お金の量」で判断する中国社会流の考え方とはどのようなものか。同じく交通機関の話で例えるとするならば、

 「人は歩くよりバスに乗ったほうがラクで便利である、バスに乗るよりタクシーのほうがラクで便利である、タクシーより運転手付きのリムジンのほうがラクで便利である。ではなぜ全ての人がタクシーや運転手付きのリムジンに乗らないのか。それは持っているお金の量に制約があるからだ。お金の制約がないのであれば、ラクで便利なほうがいいに決まっている」

 やや極端な言い方をしているが、要はこのような考え方である。

 だから中国の人たちは、自分が持っているお金(より正確に言えば「その時点で使える」お金)の「量」によってお金の使い方が大きく変わる。お金のあまりない人は非常に慎ましやかなお金の使い方をするし、お金のある人は思い切りよくお金を使う。持っている「量」に応じた使い方になるのである。

 中国人富裕層のカネの使い方が日本人には荒っぽく見えるのは、ここに理由がある。第1回でも述べたが、これは良い悪いではない。社会が共有するOSの違いが、お金に関して露わになっただけのことだ。

 だから中国で、お金があるのにバスに乗る人はまずいない。逆に言えば「バスに乗っている」ことは、イコール「お金があまりない」ことを意味してしまう。「量」を基準に考える社会で「持っているお金が少ない」のは恥ずかしいことで、面子(メンツ)がない。だから人はますます乗りたがらない――という循環が起きる。結果として中国でバスに乗っているのは、まず例外なく「乗りたくはないが、仕方なく乗っている」人たちの集合体である。

 大都市で最近、急速に拡大している地下鉄は、バスよりは都会的なイメージもあり、道路の渋滞がひどいので高級ホワイトカラーの中にも使う人はいる。とはいえお金に余裕のある人は、やはり自分のクルマや中国版Uberのようなハイヤーやタクシーでの移動が主流だ。私はもう50代後半で、中国の友人はそれなりの社会的地位の人が多いので、バスは論外、日常的に地下鉄に乗る人も周囲にはあまりいない。

 お金に関する「スジか、量か」の判断に関連して、例をもう一つ挙げよう。日本人と中国人の金銭感覚の違いについてのお話である。