僕がやったのは「翻訳」かもしれない

もう一つ特徴的なのは、叔父さんがコペル君に対して思いを綴ったノートの見せ方です。ノートだけを小説のように縦書きの文字列で見せ、あたかもコペル君が読んでいるように、ノートを持つ手が描かれている。これまでの形式的な出版物への問いかけのようにも思えます。何の疑いもなく、このフォーマットを思いついたのですか?

 この形式は比較的、初期段階で決まりました。まずボリュームの問題があって、全て漫画にすると膨大なページ数になる。だからノートは文字のままで、デザインを工夫しようと。

 もう一つは、新しい見せ方にチャレンジしたかったんです。漫画の後に付録的に文章が掲載された書籍はありますが、漫画と文章がきれいなコンビネーションで描かれている例は思いつきませんでした。文章が入る必然性があるような形式で表現したかった。

その通りになっています。

 文章だけだと読みづらい。漫画を読んだことでその後の文章がすんなり入ってくるような工夫をしています。ただ、その塩梅が非常に難しかった。先ほど言ったキャラクターの設定もそうです。叔父さんという人物を好きになってもらえない限り、文章が続くノートなんて読んでもらえない。

原作と漫画を読んで思ったのは、この漫画は吉野源三郎さんの原作ですが、完全に羽賀さんの「作品」ですね。咀嚼して自身のものとしてプロダクトを作り直している。そういった意味で、別の名著で同じことができるとは思いますか?

 名著専門漫画家にはなりたくないんです(笑)。

 でも、ある種、僕がやったことって「翻訳」なのかと。

翻訳ですか。

 翻訳家という見方をすると、たしかにこの仕事は面白いかもしれないって思うんです。漫画以外のものを、漫画というアウトプットの手法を使って表現する。自分が漫画家になりたいと思った初期衝動も、そんな思いだった気がします。

(聞き手/日野 なおみ、島津 翔=日経ビジネス)