「ホリプロ保育園」えんちょーの安田美香です。今回は絵本作家・ヨシタケシンスケ氏のインタビューを紹介します。ヨシタケ氏の作品は哲学的な視点とラフなタッチが特徴で、子どもだけでなく大人からも支持されています。さらに海外からの人気も高く、英語版もいくつか出版されています。独特の作風はどうやって生まれたのでしょうか。前編では幼少期から学生時代の話を伺い、ヨシタケ氏の原点に迫りました。

ヨシタケシンスケ氏。1973年神奈川県生まれ。絵本作家。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常の風景を独自の視点で切り取ったスケッチ集やイラストなど、多岐にわたり作品を発表。2013年に絵本『りんごかもしれない』を出版。初のオリジナル絵本となった本作品で、第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞を受賞。『りゆうがあります』で、第8回MOE絵本屋さん大賞第1位に。『もうぬげない』は、ふたたび第9回MOE絵本屋さん大賞1位となったほか、2017年にはボローニャ・ラガッツィ賞[フィクション部門]特別賞を受賞するなど、国内外から注目を集めている。この春から小学6年生と1年生になる息子さんを持つ父親でもある。
[画像のクリックで拡大表示]

「どうすれば怒られずにすむか」ばかり考えている子どもだった

安田美香氏(以下、安田): 過去のインタビュー記事を拝見しましたが、「大学生になるまでは、想像力を豊かに巡らせるような子ではなかった」とおっしゃっていました。どのような幼少期を過ごされたんでしょうか。

ヨシタケシンスケ氏(以下、ヨシタケ): 僕には姉が1人、妹が2人いて、女性に挟まれて育ちました。2つ年上の姉は自分の意見をハッキリ言う人で、家の中では姉のやりたいことが優先されていました。僕はおとなしい性格で、自己主張をせず、常に他人に合わせるというタイプの子どもでした。

 中学時代はバレーボール部に所属し、3年生時にはキャプテンを務めましたが、これも母から「何か運動したら」と言われて見学に行き、そのまま3年間続けてしまったというのが正直なところです。最後まで体育会系の雰囲気になじめず、「なぜ勝たなければ行けないだろう」と疑問を感じていました。

安田:「これだけは夢中になっていた」というものはありましたか?

[画像のクリックで拡大表示]

ヨシタケ: 姉は器用で何でもできましたが、唯一、工作はやらなかったんです。だから、僕がダンボールを切ったり貼ったりして工作をすると、母がとても喜んでくれました。今考えるとそこしかほめるところがなかったのかもしれませんが……。母に工作をほめられるのがうれしくて、将来は大工さんや職人になりたいと考えていました。

 思えば、人から「これをやりなさい」と指示された通りにやるのは得意な子どもだったんです。でも、そこから自主的に作品を発表したり、ましてや作家活動をするようになるとは想像もしていなかったですね。とにかく怒られるのが怖くて、「どうすれば怒られずにすむか、どう言い訳ができるか?」ばかりを考えている子どもでした。