きっかけは「世界の海をまたにかける船乗り」を目指したこと。海上保安庁に勤務する父の転勤に伴い、東北各地を引っ越しながら少年期を過ごした山口さん。中学を卒業して進路を決めるときには、夢をかなえるために、岩手県宮古市にある国立宮古海上技術短期大学校へと進学する。卒業後は長崎の大学で造船を学び、就職は船の設計に関わる東京の総合エンジニアリング会社へ。しかし、5年間勤めた後に独立を決意する。新しい人生で選んだのは、広島県での起業だ。なぜ、広島県で人生の大きな一歩を踏み出したのか。その思いを聞いた。

船乗りに憧れた青年が選んだのは船を造る仕事だった

 「子は親の背中を見て育つ」とはよく聞く言葉。山口さんも海上保安官である父に憧れ、船乗りを夢見た。中学卒業時には船員を養成する国立宮古海上技術短期大学校に入学し、海の男への第一歩を踏み出す。

 「豪華客船に乗って、外洋を航海する船乗りになりたかった。しかし、実際に3カ月間の海洋実習で海の厳しさを知りました。油と鉄の匂いが入り交じった独特の空気、うねりによる船酔い、変わらない風景。定年までの40年間、耐えられるのか……。自信が揺らぎました。一方、船のなかで目にした機関部や構造体に強く惹かれて、船に乗るのではなく、造る仕事もいいなと思い始めたんです」

「株式会社FRONT MISSION」代表取締役 山口 太一さん
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 国立宮古海上技術短期大学校は高校課程3年で船員になるための基礎を学ぶ。山口さんは、在学中に、船舶職員として船に乗り込むための国家資格「海技免状3級(筆記)」を取得した。卒業後は造船学科のある長崎の大学へ進学。その後、東京の総合エンジニアリング会社に就職し、船舶部門へと配属された。

 「私の仕事は構造計算。分かりやすく説明すると、船体にどの程度の力が加われば破損するのかを検証し、また、破損しないためにはどういった構造にすればいいかを考える仕事です。船に加えて、海上の風車といわれる洋上風力発電架台など、海洋構造物全般に携わっていました」

 海に携わる仕事に満足し、やりがいを感じていた山口さんだったが、キャリアを重ねるなかで、船や海洋構造物以外の構造計算も行うこともあった。

 「さまざまな設計案件に携わらせていただけたのは、一技術者として視野も広がり大変勉強になりました。ただ一方で、最も大切にしたかった造船業界のお客様からは、“仕事を出す価値を感じない”という評価を受けていることを耳にしました。実際、2度目の依頼がないケースもあり、その頃から、仕事との向き合い方を考えるようになりました」

 「転職も考えましたが、エンジニアリングパートナーという立場だからこそできることもあるのではないか」と思い悩んだ結果、船と海洋構造物のジェネラリストとしてスキルを高めるために独立して、株式会社FRONT MISSIONとして起業することを決めた。

 そのとき、人生の新たな一歩を踏み出す土地として選んだのが、縁もゆかりもない広島だった。

 「理由は2つあります。一つは、造船業が盛んな日本でも屈指の地域であること。船や海の仕事で独立する以上、お客様が多い土地のほうがいい。それに、独立してすぐは、以前からお付き合いのある企業様からの依頼も見込んでいたので、新幹線で移動ができる交通の便がいいことも魅力でした」とビジネス的な見地から広島を選んだ理由を語る山口さん。そして、もう一つの理由は、とても情緒的だった。

 「広島には、付き合っている彼女と旅行に来たことがあって、そのときの印象がすごく良かったんです」

 広島を訪れたのは入社3年目のこと。宮島や広島市内などの観光地を巡ったが、強く記憶に残っているのは「住宅街を歩いた雰囲気や地元のスーパーでの買い物、スーパー銭湯でゆったりしたこと」だという。お風呂上がりに吹かれた風の気持ち良さとそのときに眺めた風景。生活という視点で、「この土地で暮らしてみたい」と心に刻み込まれた。