34歳の長友さんは、奥さんと2歳になる長男の3人家族。東京都生まれ、埼玉県育ちで、レコード会社と広告の制作会社でデザイナーとして働いていた。いわゆる都会派だったが、震災や長男の誕生など、節目ごとに暮らし方を見つめ直し、移住を考えるようになったという。長友さんが広島県の尾道市で働くようになった経緯を詳しく聞いた。

震災、結婚、妻の出産……。強くなる移住への思い

 2011年3月11日、多くの人が自らの生き方、暮らし方を振り返る契機となった東日本大震災。長友さんもその一人だ。「今のままの生活をしていていいのかな」と漠然と移住を考えるようになった。

 「とはいえ、今すぐに移住、というほど切羽詰まったものではありませんでした。むしろ、その頃は広告制作会社に転職したタイミングだったので、仕事に没頭していました」

「せとうちホールディングス」 広報ブランドCSR本部 ブランド推進部 デザイナー 長友 浩之さん
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 誰もが知る大手クライアントとの仕事はダイナミック。自らが関わったものが、広く世の中の人が知ることには、やりがいも楽しさもあった。一方、仕事に慣れるにつれて、不満もたまっていったという。それは、広告マンなら一度は考えることだった。

 「どんなに力を入れても、広告は消費されるのが早い。それに、大手クライアントの仕事は制約も多い。思うようなデザインができないもどかしさもありました。しかも、仕事は激務。終電での帰宅や徹夜仕事も当たり前でしたね」

 そんな毎日のなか、2013年に長友さんは生涯の伴侶を得る。家族ができ、自分一人の生活ではなくなったことは、ワーク・ライフ・バランスを強く意識させた。満員電車での通勤や終電での帰宅。常に仕事が最優先の日々のなか、「このまま東京で働き続けるのか?」という気持ちが徐々に大きくなっていった。

 「本気で移住を考えるようになったのは、2015年の秋。子どもが生まれたタイミングですね。真っ先に頭に浮かんだのが、妻の実家がある広島県福山市近郊。帰省のたびに何度か訪れていましたが、瀬戸内海の綺麗な景色や穏やかな環境が魅力的で、子どもも、のびのび育ちそうだと感じました」

 しかし、気になるのは仕事のことだ。広告関係の仕事のほとんどは東京、そして、一部が大阪、名古屋に集まっていると言われている。デザイナーというクリエーティブな職種は、都会から吸収する感性も重要だろう。それだけに、地方では難しいのでは? と尋ねると、「それよりも、デザインで地域活性化をすることに興味があったし、可能性を感じていました」と長友さんは話す。

 「僕が移住を考えていたのは、世の中的にも、ちょうど地域デザインが注目され始めていた頃。有名なところでは、高知に拠点を置くデザイナーの梅原真さん(一次産業の魅力をデザインで引き出す手法で注目される)などが活躍していたこともあり、自分もデザイナーとして何かできることがあるんじゃないかと思ったことも、地方移住を後押ししたきっかけの一つです」