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「これからのテレビの可能性について、どう思いますか?」

  先月、関西大学で開かれた第37回「地方の時代」映像祭。その中のシンポジウムに現役のテレビ制作者4人が呼ばれた。その一人として登壇した私は、事前に主催者から提示された冒頭の問いにどう答えたらいいか、考えあぐねていた。そもそもこの問い自体が、ネットの勢いに押されるテレビの現状を表しているようにも感じられた。

  今、世の中には“情報”があふれている。気になること、知りたいことがあれば、誰もがスマホ片手にネットで調べ、即座にそれなりの“答え”を得られるようにもなった。そんな時代にテレビが持つ可能性とは一体、何なのだろうか。

  実際、テレビ制作の現場でも、会議や打ち合わせ中に誰かが発言した内容について分からないことがあったら、その場でネット検索し、「あ~、なるほど、そういうことね」と納得する人の姿を見かける。目の前に「よく知る人物」がいても、その人に詳しく尋ねるより、とりあえずネット検索する。そして、検索結果の上位に示された項目や画像、Wikipediaなどの短い説明を読んで、ひとまず分かった気持ちになる。そうした光景は珍しくない。

  インターネットなどのデジタル化されたデータベースにアクセスし、検索すれば一定の情報を得られる便利な現代社会。この“検索”という機能は、人類史上かつてない、きわめて重要なテクノロジーの一つといえるだろう。

  はるか昔、古代ギリシャや古代エジプトの時代にも図書館は存在し、そこには一人の人間が一生かかっても読みきれないほどの情報が蓄積されていた。だが、何万冊、何十万冊という本の中から関係する項目を調べるのはきわめて困難だった。紙などに残されたアナログ情報は、増えれば増えるほど情報を引き出すのに膨大な労力がかかるのだ。また、図書館などで情報を得られるのは、ごく一部の人々に限られていた。

  だが、アナログからデジタルへ切り替わり、加速度的に情報量が増えても、手間をかけずに瞬時に欲しい情報を引き出すことができるようになった。情報量は増える一方なのに、情報を調べる手間や労力はほとんど変わらない。それは、紛れもなくデジタル化によって検索機能が桁外れに向上したお陰だ。世界中のあらゆる人が、いつでも好きな情報を得られるようになった。

  もはや現代人は検索なしには生きられない。初めて訪れる街、おいしそうなお店、夕飯の献立など、ありとあらゆる情報を検索から得ている。“情報化社会”といわれる現代は、“検索社会”ともいえるのだ。

  しかし、当然のことながら、世の中にあふれる情報は、検索によって得られるものばかりではない。Googleなどの検索エンジンに引っかからない情報は、実際には無数に存在するのだ。ネット検索だけに依存すると、そうした“予想もしない情報”に出会う機会は失われる。以前、ラジオ番組でジャーナリストの神保哲生さんがこんな発言をしていた。

 「NHKは、Googleの逆を行け」