開発会議には(舛岡さんは)全然出てこなかった!?

 確かにフラッシュメモリのアイデアを最初に考えたのは舛岡さんだが、元々それは、当時の常識では考えられない、あまりに型破りな製品だった。とにかく「安く」するため、従来の機能や構造を大幅に変更し、当初はデータのやり取りがきわめて遅くなるなどの致命的な欠陥を抱えていたのだ。それらの問題を一つ一つ解決していったのは、実は舛岡さんの部下たちだった。たった10人足らずの開発チームが“非常識”と見られていたフラッシュメモリの試作品開発に、わずか3年ほどで成功したのである。

 舛岡さんは、「僕は『やれ』って言っただけだから。実際にやったのは、あの人たち(部下)だから」とこともなげに語った。当時の開発チームのリーダー・白田理一郎さんも「舛岡さんは(部下たちが勝手にやることに)何も文句言わなかったですよ」と述べた。それどころか、「開発会議には(舛岡さんは)全然出てこなかった」とまで言った。私は、あまりの“放任ぶり”に思わず言葉を失った。

 こうした話だけ聞くと、「じゃあ、舛岡さんは一体、何をしていたんだ?」と思う人がいるのは当然だ。だが、元部下たちは当時を振り返り、「舛岡さんは発明もすごいが、何より“マネジメント力”がすごかった」と証言した。

 フラッシュメモリは当時、前例のない全く新しいデバイスだった。それを研究するエンジニアは、常識にとらわれる者では務まらない。舛岡さんが開発を託したメンバーは皆、個性が強く、言われたことをこなすより自分で考えて行動したい“はみ出しエンジニア”が多かった。

 「他の人が話しているのに、自分のアイデアを話し出す人ばかり」と言うほど、誰もが思いついたアイデアを積極的に口にし、開発会議は収拾がつかないほどだったという。もし、会議の場にコワモテの舛岡さんが同席していたら、決してそんな自由闊達な雰囲気にはならなかっただろう。ある元部下はこう断言した。

「技術は(部下を)自由にさせるマネジメントをしないと絶対に発達しない」