テレビ業界で働いていて、一般の人に「よく理解されていないなあ……」と感じるのが、「ディレクター」と「プロデューサー」という“職種の違い”だ。本来、この二つの職種は、具体的な業務や立場が異なる。だからこそ区別されているのだが、近年、その境界があいまいになっているように感じている。

 例えば、ある番組を紹介した記事などに「制作者」として登場するのは、なぜかプロデューサーであることが多い。確かにプロデューサーも制作陣の一人だが、実際には番組制作における「マネジメント」が主な業務だ。全体の方向性を示し、番組内容や予算の管理、編成との折衝やPR業務などを行うのがプロデューサーの仕事である。

 確かに、広報担当としてプロデューサーが番組を語る役目を担うのはおかしくないが、番組の細かなディテールまで「自分がやりました」と語るのは無理がある。実際、具体的な取材や膨大な撮影素材の編集を担うのは、ディレクターだからだ。毎週、放送されるレギュラー番組の一コーナーでも、その出来はディレクターの力量によって左右される。

 映画の場合、「監督」と「プロデューサー」の違いは一般の人も理解している。「その映画は、誰の作品か?」と問われれば、迷いなく「監督」と答える人が多いだろう(たとえ、最終的な編集権を映画会社のプロデューサーが握っていたとしても)。書籍の場合も、「著者」と出版社の「編集者」の役割の違いは、一般にも十分に理解されている。

 ところが、なぜかテレビに限っては「プロデューサーが番組を作っている」というイメージが世間に染みついているように感じる。こうした認識は、決して一般の人に限ったことではない。テレビ業界で働く者の中にも、そう認識している人が少なくない。

 先日、とある制作プロダクションの方とお会いした際、「ある局の一部のプロデューサーは、ディレクターとプロデューサーという職種の違いを理解していなくて困る」と漏らしていた。マネジメントの域を超え、編集の最終段階にディレクションにまで介入する姿が散見されるという。

 現在、日本で放送されているテレビ番組の過半数が局制作ではなく、外部の制作プロダクションやフリーのディレクターに業務委託して作られているが、そうした実態はあまり知られていない。企画そのものも、外部プロダクションの発案である場合が多い。

 想像してみてほしい。苦労して取材を行ない、不眠不休で編集作業に没頭するも、完成直前に現れたプロデューサーが多少手直ししただけで、まるで「この番組は自分が作りました」という顔をされた時のディレクターの心情を……。

 例えば、前々回のコラム(前々回のコラム)で触れた「なぜ、日本のドキュメンタリー番組は“ナレーションありき”という画一的な手法に陥ったのか?」という謎も、こうした日本のテレビ業界の体質と無縁ではないと思う。取材や撮影の現場にいないプロデューサーが編集段階で最も介入できる領域が「ナレーション」だからだ。編集された素材に後から何かを加えるとしたら、ナレーションぐらいしかない。そこで手を加えようとすればするほどナレーションの量は増え、番組自体も“説明的”になってしまうのだ。

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