人に話を聞く取材やインタビューは、本当に難しい。テレビの場合、新聞や雑誌などの活字メディアと違って、実際に“本人が語っている映像”を記録して来なければならない。これが、簡単そうに見えて実に奥が深いのだ。

 ニュースやワイドショーなどでよく見かける「街頭インタビュー」は、聞き手であるディレクターの腕の良し悪しがすぐに露呈する。意外かもしれないが、ただ聞きたいことを質問するだけでは、いいインタビューはほとんど撮れないのだ。

 例えば、もし街で呼び止められたディレクターからボソボソした声で、
「えっと、あの~…、今のサッカー日本代表について…、どう思いますか…?」
 と、ざっくりとした質問をされたら、アナタはどんな風に答えるだろうか。おそらく、自分もボソボソとした声で返し、答えも漠然とした内容になるのではないだろうか。

 逆に、ものすごくテンションの高いディレクターから、
「いや~! 昨日の日本代表戦、劇的逆転勝利! やりましたね~!!」
 と聞かれたら、アナタも思わずテンション高めで、喜びの感情を率直に表現するだろう。つまり、聞き手の聞き方や態度によって、話し手の反応もガラッと変化するものなのだ。

 これを私は、「“合わせ鏡”論」と呼んでいる。合わせ鏡の如く、聞き手と話し手は、不思議と似たような話しぶりや態度になりがちなのだ。質問が抽象的だと、相手の答えも抽象的になる。政治や経済について理性的に答えて欲しい場合は、ややかしこまった言い方で訊ねると、話し手も落ち着いた口調や硬い表現で返してくる。こうした現象は、実際にインタビュー取材を数多く経験すればするほど実感する。

 取材者として恐いのは、自分の中に不安や迷いが生じていると、相手にもそれが伝わり、やがて話し手も不安そうな表情を浮かべながら話すようになることだ。聞き手の自信の無さも、すぐに相手に伝染する。つまり、取材やインタビューは相手の話を聞く行為でありながら、

 実は、「問われているのは、“自分自身”でもある」

 という恐ろしい行為なのだ。それは聞き方の問題だけでなく、聞き手の“姿勢”が問われる場合に如実に表れる。

 プロ・インタビュアーの吉田豪さんは、事前に取材相手の過去の記事や著作を読み、とことん調べた上で相手から思わぬ話を引き出してしまうことで有名だ。著作『聞き出す力』の中で、 「インタビュー前の下調べはプロとして最低限の礼儀」と語っている。

 本人は「当たり前の話でしかない」と書いているが、逆に言えば下調べもせずに取材相手と会い、基本的なことを聞く業界人がゴロゴロいるのが現状なのだ。開き直って「予定外のことが面白いからインタビューで下調べはしない」と語る某フリーアナウンサーのことは名指しで批判していた。キッチリと下調べをするからこそ深い話が聞けて、いつもは聞けないきわどい質問もでき、予定外のインタビューになるのだと吉田さんは主張する。私も全く同感だ。「合わせ鏡論」から言っても、ろくに下調べをしてこない聞き手に、話し手が心を開いて語るとは到底思えないのだ。

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