『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「Mr.トルネード」「えん罪弁護士」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第5回。

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 2012年にiPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんは、どうやって最初の研究資金を得ることができたのか――。そのことは意外に知られていない。

 まだ無名だった2003年に、山中さんは科学技術振興機構の「CREST」という研究支援プロジェクトから初めてファンディング(資金援助)を得た。5年間で3億円という研究費が支給された背景には、審査の面接にあたった免疫学の世界的権威・岸本忠三氏の英断があった。

 「山中伸弥さんの方法ではどう見てもうまくいくはずがないと思ったが、彼の迫力に感心した。絶対にこいつはCRESTに採るべきだ、何かやらかすはずだ、と強く主張した」という。なかば、岸本教授の直感的で独善的な採択として、その領域の最後の一人に山中教授が滑り込んだのだった。(『元素戦略』中山智弘著/ダイヤモンド社)

 今をときめくiPS細胞の研究は、このときの岸本氏の「直感」や「独善的な採択」がなければ、日の目を見なかったかもしれない。興味深いのは、科学的な研究分野においても最終的な決断を促したのは、山中さんの「迫力」であり、岸本教授の“根拠なき予感”であったという点だ。論理や理屈を超えた判断がそこにあり、ある種の“賭け”が革新的研究を生むきっかけだったのである。事ほど左様に、世の中の新しいものは、よく分からない(けど、何かスゴそうな)ものへの投資によって生まれるのだ。

 同様の話が、私が制作した番組『ブレイブ 勇敢なる者』の第一弾「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」で取り上げた故・藤田哲也博士にも存在する。シカゴ大学の藤田教授は日本ではあまり有名ではないが、竜巻の世界的単位の元となった「F(フジタ)スケール」の生みの親として知られ、後年は墜落事故を引き起こすダウンバーストという気象現象を発見して、世界の航空安全に多大な貢献を果たした日本人気象学者だ。

 1976年に世界で初めてダウンバーストの理論を発表した藤田博士は、気象界から猛烈な反発を受けた。なぜならそのとき、ダウンバーストはまだ一度も観測されたことがなかったからだ。このダウンバーストを巡る論争は約10年も続いた。論争に終止符が打たれるきっかけとなったのは、1982年に実施された数億円規模の大規模な観測計画だった。そこで実際に200近くものダウンバーストの観測に成功し、後に具体的な対策が取られたことで今、私たちは安全に空の旅を楽しむことができている。

 この知られざる世界的偉業の背景にも、歴史に名前が登場しない一人の男が大きな役割を果たしている。藤田博士と研究を行った米国人関係者にインタビューをしたところ、突然、「どうやって(観測計画の)資金を集めたのか、話しておくべきでしょうね」と語り出した。数億円という研究資金を援助してくれたNSF(アメリカ国立科学財団)には当時、ロナルド・テイラーという特別研究員がいて、彼が藤田博士のダウンバースト研究を後押しするため、審査が通りやすくなるように様々な工作をしてくれたと証言したのだ。 「テイラーはとても聡明な人物で、実に賢明なことをしたと思いますよ。もし彼がいなかったら、資金をどこから得られたか、私には見当がつきません」

 通常の審査手順に従っていれば、観測計画が頓挫することは目に見えていたという。すると、墜落事故の原因も闇に包まれたままとなり、より多くの犠牲者が発生していただろう。