『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第26回。

 今回は世にあふれるコンテンツの本質について述べたいと思う。テレビ番組、映画、小説などジャンルを問わず、ありとあらゆる作品は、一言でいえば、ある一つの“大きな謎”について取り扱っているといっても過言ではない。それは、

「人間とは何か?」

 という問いだ。「そんな大袈裟(おおげさ)な……」と思うかもしれないが、どんなコンテンツも結局は、この根源的なテーマを大なり小なり内包している。

 例えば、なぜ人は毎日、ニュースを見るのか? 表面的には「世の中の動きを知るため」だが、その世の中を動かしているのは紛れもなく人間だ。政治、環境問題、殺人事件、芸能ゴシップなど、ありとあらゆる出来事に関わっているのは人間以外の何者でもない。そうしたニュースを見ながら、「(自分と同じ人間なのに)どうしてこんなことを?」と感じ、人間というものがますます分からなくなる。だから、一向に関心が尽きないのだ。

 ビジネスやトレンドに関する話題でも、経営や組織、市場には常に人間という存在がある。もし、人間のことがよく分かっていれば、ビジネスも成功し、より多くモノを買わせてヒットを飛ばすことも可能なはずだ。論理的に考えればそうだが、実際にはそう簡単にはいかない。それほど「人間」に関する謎は深く、一筋縄ではいかないのだ。

 もし仮に、「人間のことはよく分かっている」という人がいれば(そんな人がいれば、「神」ぐらいだろうが)、「人間とは何か?」という問いも浮かび上がってこないし、これほど持続的な興味も湧かないだろう。“分かりそうで分からない”という強力な訴求力を備えた万人に共通する命題が、まさしく「人間とは何か?」問題なのである。

 テレビドラマや映画といったフィクションも、さまざまな関係性から「人間とは何か?」という命題を常に扱っている。「こういうとき、人はどう感じ、どう行動するのか?」という問いや、「人は本来、こうあるべき」という理想を作品の中に描いている。

 つまるところ、世にあふれる「コンテンツ」とは、この「人間とは何か?」という根本的な問いに対して、クリエイターがさまざまなモノの見方や解釈を提示し、手を変え、品を変えて世に送り出した変奏曲のようなもの、と言えるだろう。

 逆に言えば、あらゆる人が手を尽くしても、依然として分かりそうで分からないのが、最も身近な「自分自身」(=人間)のことだ。それ故、「人間とは何か?」という問題が人類にとって最大の関心事であり、さまざまなコンテンツが世に生まれているのだ。

 通常、この命題は、あからさまな形で示されることはない。私自身も以前、意外な作品の中で「人間とは何か?」という永遠のテーマを描いているので、一例として紹介したい。