この記事は雑誌『日経おとなのOFF』2013年2月号に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

 1933年に長崎本線が開通すると、肥前浜宿には祐徳稲荷神社の表参道としての役割も加わった。年間300万人の参拝者が訪れる祐徳稲荷神社は、鹿島鍋島藩第3代藩主・鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛(かざんのいんまんこひめ)が、京都から嫁いだとき、稲荷大神の御分霊を勧請(かんじょう)してできた。「しかるべきところに鎮座をということで、浜川の清流を挟んで東西2つの龍脈の中腹に位置するこの場所が選ばれたと聞きます」(権宮司の鍋島朝寿さん)。この稲荷神社では、境内で採れる梅を、肥前浜宿で100年の歴史を持つ漬物店の田雑商店に依頼して梅干しに加工。この梅干しは祈願者へ配られるほか、正月や祭典で振る舞われるという。

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重要伝統的建造物群保存地区
肥前浜宿には、重要伝統的建造物群保存地区が2つある。一つは初めて「醸造町」の種別が認められた「酒蔵通り」、もう一つは茅葺町家が集まる浜庄津町浜金屋町地区。川の上流と下流とで家並みが異なり、町歩きが楽しめる。
茅葺町家
浜川の河口近くには、狭い路地沿いに茅葺町家が連なって残り、かつての生活文化を物語っている。

旧長崎街道のすぐ裏手にあるとは思えない、のどかなたたずまい
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近くの路地を湧水が流れる。かつてはこの湧水を敷地に取り込み、野菜や食器を洗っていたという
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まちなみアガイド・板金業の峰松昭次郎さん。2002年から杜氏を務める。先代から祐徳稲荷神社の銅葺き屋根の葺き替えを担当する。「板金の仕事で日本各地を訪ね歩いた経験から、故郷・鹿島の魅力を再確認しました」

 近年、「発酵文化の香る町」としても注目されている鹿島だが、90年代末までは歴史的景観の存続が危ぶまれた時期があった。肥前浜宿の町並みを守ろうと最初に立ち上がったのは、酒蔵通りで板金業を営む峰松昭次郎さんだ。「伝統的な家屋が、1軒また1軒と姿を消していく。残っている建物も傷みが激しい。早急に手当てをしないと、この景観はなくなってしまうと思ったんです」。

 峰松さんは仕事の手を休めてボランティアガイドにいそしんだ。ある日、偶然峰松さんに案内され、感銘を受けた東京の篤志家による寄付で、肥前浜宿に残る茅葺きの「旧乗田家住宅」が修復保存されることに。その頃には地道な活動が実を結び、地元で町並みの価値を見直す機運が高まった。酒蔵通りほか2地区が国の文化財保護法に基づいて保護されることになったのは、市民の運動の成果だ。