この記事は雑誌『日経おとなのOFF』2013年2月号に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

干潟に昇る朝日と棚じぶ
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 その景色は佐賀県鹿島(かしま)市に滞在中、6時間おきに出現した。干潟のことだ。東京湾とほぼ同じ面積を持つ内海の有明海からすっかり潮が引き、大潮の干潮時で8600haもの干潟が現れる。はるか対岸の福岡・熊本側まで広大な干潟が目の前に広がる。

 鹿島市の東に広がる有明海は、深いところで水深二十数m。潮の干満の差は有明海の奥に行くほど大きく、6mに達する。これほどの干満差は国内でも類がない。この干潟は、およそ8万年前の阿蘇山の大噴火によって九州全土に降り積もった火山灰が、長い年月をかけて粘土質の泥に変わったものだ。その軟泥に、ムツゴロウやワラスボなど、他地域では見られない二枚貝類や魚類をはじめとする、多種多様な生物が生息している。これらは、干潟生態系の浄化作用の役割も果たしており、「縁の下の力持ち」のような存在だと聞く。

 それにしても、なぜここにだけ生息する生き物がいるのか。その答えは、気の遠くなるような太古の地球の成り立ちにあった。約1万年前、九州北部が大陸から切り離されていく過程で、「大陸系遺留種」と呼ばれる生物が、干潟の残る有明海に取り残されたのだ。

沿岸で行われるノリ養殖。有明海で生産されるノリは日本全体の約4割を占める
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 鹿島市の南に隣接する太良町(たらちょう)を訪れた。国道207号線沿いは、有明産のカキを食べさせる「カキ小屋」が15軒ほど並び、「カキ焼街道」の別名がある。カキと並び人気があるのはワタリガニ。特に、竹崎沖で捕れたものは「竹崎ガニ」と呼ばれ、食感のよさで評判が高い。「有明海はエサとなるプランクトンが豊富なため、カキやカニの育ちがよく、身が甘いのが特徴です」。16年前からカキ小屋を経営する竹崎海産の吉田直広店長が、誇らしげに言う。勧められるまま、外海産のカキと食べ比べてみた。真っ先に塩分を感じる外海産に比べ、有明産は甘みと旨みが濃縮された味わいがあった。

太良町特産の竹崎ガニとカキ
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 店からの帰り、太良町で「月の引力が見える町」というキャッチコピーが書かれた観光ポスターを見かけた。なるほど、潮の干満差は月の引力の影響によるものだ。この不思議な現象を、この地の人々は日常に取り入れながら暮らしてきた。ムツゴロウを針で引っかける「むつかけ」、櫓(やぐら)の先に設置した四つ手網を上下させてエビや魚を捕る「棚じぶ」――。高齢化などで年々減りつつはあるが、干潟を生業の場とする漁民が編み出した漁法は十数種類もあるという。人々に守られた干潟はまた、渡り鳥の宝庫でもある。人が手をかけることで輝きを増す自然が、そこにあった。

竹崎海産
漁業と兼業のため、魚介類の鮮度のよさは抜群。竹崎ガニは、冬は卵とミソが詰まったメスが美味。地元では炭火焼きのほか、塩茹(ゆ)でをごま酢につけて食べる。
【Data】佐賀県藤津郡太良町多良江岡 TEL:0954・67・0603 開場時間:10~18時 定休日:1月1日(4~10月は火曜) 料金:焼きガキ1カゴ 1000円~、竹崎ガニ1杯 1400円~

文/飯田敏子、写真/長崎辰一、協力/九州観光推進機構