この記事は雑誌『日経おとなのOFF』2013年1月号に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

 この海を介してどれほどの金品が行き来したことだろう。16世紀半ば、堺には千利休、今井宗久、津田宗及(そうぎゅう)ら豪商と呼ばれる大商人が出現し、NHK大河ドラマで人気を博した呂宋(ルソン)(納屋)助左衛門が勇躍した。まさにそれは『黄金の日日』だったはずだ。

 当時の様子をイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と記した。

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納屋衆・会合衆 黄金の日々
16世紀中頃の堺は、豪商のなかの有力者の集まりである会合衆、納屋衆によって自治が保たれていた。堺を訪れた宣教師は「町は甚だ堅固にして、西方は海を以てまたほかの側は深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり」と伝えている。港と濠(堀)は自治都市・堺の象徴だった。

 会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちは、自治的な都市運営を行い、戦国大名や織田信長に対抗するほどの経済力をもっていた。戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせ、環濠都市を形成している。その財を生み出したのが、この海だ。

 今は臨海工業地帯として造成され、旧堺港の突端に日本最古の木造洋式灯台がたたずむのみ。それでも工場の間に沈む夕日をカメラに収めようと人々が訪れる。そんな一人の金銅太一さんは、「湾の向こうに明石海峡大橋が見える日もある。海を取り巻く景色は変わったが、季節や時間ごとに見せる夕日の美しさは変わらない」とその魅力を話してくれた。

旧堺燈台
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大阪湾の中央に位置する天然の良港。1877(明治10)年築造。その地に現存する日本最古の木造洋式灯台だ。
【Data】堺市堺区大浜北町5-1-22

わずかに残る環濠跡。積荷の揚げ降ろしをする運河の役割もあった
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 海と夕日が見つめてきた、きらびやかな歴史と工業都市としての発展。転機となったのは2度の大火だ。1615年大坂夏の陣の前哨戦として、豊臣方に放火され町は炎上。中世自治都市として繁栄の頂点にあった堺のほぼ全域が焼失した。さらに第2次世界大戦の空襲で市街の大半が焦土と化した。

 寸断された歴史を縫うように、幅員50mの大道筋の中央を路面電車、阪堺電気軌道が走る。大道筋はかつて、紀州・泉州の交易ルートとして栄えた道だ。東側には古い町並みが残り「右住(すみ)よし 大さか」などの文字が刻まれた道標も見られる。開通100周年を迎えた路面電車で堺を旅した。

仁徳天皇陵古墳
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仁徳天皇陵からはかつて金銅製の甲冑(かっちゅう)が発見された。5世紀の最先端技術の伝来が、後の鉄砲鍛冶技術の源流になったといわれている。
【Data】堺市堺区大仙町

文/中城邦子、写真/大腰和則、写真協力/堺市