この記事は雑誌『日経おとなのOFF』2012年10月号に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

 その研究室には、1万5000株以上の酵母や乳酸菌がぎっしりとストックされていた。研究員はまるで宝箱を見せるように棚をそっと開ける。秋田県総合食品研究センター・髙橋慶太郎さんを訪れた折のことである。

 高橋さんが白神山地の菌の採取を始めたのは1997年。日本の酵母菌研究の第一人者・小玉健吉さんとの共同作業だった。白神山地のブナの寿命は長くても300年といわれる。倒れたブナは土に返り、腐葉土となり、未来へと命をつなぐ。高橋さんはその土を持ち帰って微生物を採集、商品化するための研究を重ねてきた。

八峰町の東側に隣接する岳代自然観察教育林。白神山地の土は絨毯のように軟らかい。写真:KENJI GOSHIMA/ アフロ
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森の微生物が発酵食品をうまくする
白神こだま酵母と白神乳酸菌、米麹と塩を加え、発酵させることに成功した「塩もろみ」。現在では、地元の食品業者により漬物や味噌に使われている。今後は秋田名物の比内地鶏やしょっつると組み合わせたりと、よりバリエーション豊かな使い方を目指していく。

白神こだま酵母
生命力の強い野生酵母であると同時に、人間にも有用な酵母はそう多くないという。白神こだま酵母は、数少ないその一つだ。
白神山地の土のサンプルは6000種にも上る
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塩もろみに使われる白神こだま酵母の実験風景
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酵母や乳酸菌の膨大なストック。地球温暖化で微生物の種類が変化すると心配される
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「落ち葉が大量に堆積している白神山地は、微生物には暮らしやすい環境です。その分、微生物間の競争は激しい。生き残ったものは、ほかとは違う有利な特性を持つと考えられます」。

 なかでも発酵性や増殖性、保存性に優れた1株を「白神こだま酵母」と命名する。この野生酵母は一般の酵母と比べて、時に10倍ものスピードで繁殖するという。それを使い、高橋さんと八峰町行政、さらには八峰白神自然食品という企業が共同で開発した天然調味料、それが「塩もろみ」である。白神こだま酵母のみならず白神乳酸菌も加えたこのもろみは、肉や魚につけると素材本来の味が立ち、臭みを消すという。「これがあれば合成保存料に頼る必要がない。もっと多くの食品に使ってもらえれば」。高橋さんの瞳は輝く。