この記事は雑誌『日経おとなのOFF』2012年9月号に掲載した記事に一部手を加えたものです。内容は基本的に雑誌掲載当時のものです。

 本州のほぼ中央から、日本海に突き出た能登半島。その北端、奥能登といえば、交通不便な“最果ての地”という印象を持つ向きも多いのではないだろうか。しかし、かつて日本海側が海上交通の要衝として栄え、「表日本」と呼ばれた時代には、奥能登は交易の玄関口だったという。物資とともに伝播した技術によって磨き上げられた、独自の手仕事の文化に触れようと、奥能登を目指した。

日本に唯一残る揚げ浜式の塩作り
江戸時代には加賀藩の重要産業として栄えた珠洲の揚げ浜式製塩。国の塩専売制と近代化政策によって昭和半ばに急速に廃れた。しかし、長年製塩業に従事してきた角花家を中心に保存会を結成。塩田で作る塩の再評価が進んだことも手伝って、徐々に塩田がよみがえっている。
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塩作りは夏が最盛期。海水を担ぎ、塩田全体に海水をまくなど、重労働が課せられる
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「道の駅すず塩田村」では塩の精製工程も見学可能
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