2018年7月に、銀座・数寄屋橋交差点のソニービルの跡地に、公園「銀座ソニーパーク」がオープンする。なぜ、ソニーは、銀座の一等地に「パーク」を作るのか。その狙いは何か。前回の本コラムでは旧ソニービルの解体の様子を追ったが、今回は、現時点で公開できるソニーパークの概要の新情報などについて、ソニー企業の永野大輔社長に聞いた(関連記事:【95トン】大量の銑鉄を埋めたソニービル跡地の今)。

 かつてよく通っていた場所や遊んでいた場所がなくなるのは寂しい――2017年3月31日に50年間にわたる幕を閉じ、5月から解体作業が始まったソニービルの跡地を見た人の中には、そう感じた人も多いだろう。

現在のソニービル跡地の様子
現在のソニービル跡地の様子
現場には銀座ソニーパークプロジェクトの看板が掲げられている
現場には銀座ソニーパークプロジェクトの看板が掲げられている

 だが、「銀座ソニーパークプロジェクト」を推進するメンバーは、寂しさを感じるのもつかの間、銀座ソニーパークの建設に向けて、まい進する日々を送っている。永野社長は、「5年前からプロジェクトを推進しており、2017年3月31日のソニービルの閉館は、通過点に過ぎない。2018年7月に銀座ソニーパークをオープンすること、そして、2022年秋に新たな施設をスタートすることまでが1つの目標。その後も銀座ソニーパークは進化を続けることになる」と意気込みを見せる。

 では、2018年7月にオープンする銀座ソニーパークはどんな姿になるのだろうか。

 現時点で明らかになっているのは、707平方メートルある地上部分に、かつてのソニービルの特徴だった、花びら構造の2階部分までの階段を残し、ここに「PARK」と呼ぶエリアをつくること。地下1階から4階は従来の構造を残し、「LOWER PARK」と呼ぶエリアに改装すること。地上から地下へと延びる公園という見方もできる。これらが銀座の街と一体化し、さまざまなイベントや自由なくつろぎの場として利用されることになるのだ。

銀座ソニーパークの完成模型
銀座ソニーパークの完成模型
ソニービルは、地上のPARKおよび地下のLOWER PARKで構成したあと、それを上方向にUPPER PARKとして延ばすことになる
ソニービルは、地上のPARKおよび地下のLOWER PARKで構成したあと、それを上方向にUPPER PARKとして延ばすことになる

ソニーパークはソニーらしさ発信の場

 永野社長は、銀座ソニーパークを「実験を繰り返しながら、進化し、ソニーらしさを発信するブランドコミュニケーションの場にしたい」と語る。目指すのは、「場を通じてソニーのブランドを発信する」ということだ。そこではソニーブランドの製品以外も活用して、ソニーらしさを発信するという新たな挑戦が加わることになる。

 永野社長は「ソニーショールームやソニーストアは、ソニーの製品を見て、ソニーらしさを感じてもらえる場になっている。また、多くの人には、ソニーのエレクトロニクスや映画、音楽、ゲーム、保険、金融といった製品、サービスを通じて、ソニーらしさを感じてもらっている。それとは別に、パークという場を通じて、ソニーが持つ先進性やグローバル性、遊び心といったものを感じてもらえないだろうかと考えた。そこに、銀座ソニーパークの役割がある」と言う。

 オープン後の銀座ソニーパークでは、大きく2つの軸を設けて取り組みを進める。

 一つはイベントだ。銀座ソニーパークの地上エリアや、地下エリアを利用し、ソニー独自の企画や、ソニー以外の企業による企画などを展開する。

 かつてのソニービルには、数寄屋橋交差点の角部分に、「ソニースクエア」と呼ぶ、33平方メートル(約10坪)のスペースがあった。角地のビルの多くが、角に入口を作るのとは異なり、ソニービルは、角地をイベントスペースにしたのだ。

ソニービルの角地にあったソニースクエア。さまざまなイベントが行われた
ソニービルの角地にあったソニースクエア。さまざまなイベントが行われた

 これは、ソニー創業者である盛田昭夫氏がこだわったものだ。銀座の街との一体化を目指して、1966年のオープン時には、八丈島などから取り寄せた約2000株のあせび(馬酔木)を植え、その後も四季折々の変化に応じたイベントを開催。大型水槽を使ったソニーアクアリウムは定番企画として、銀座を訪れる人たちを楽しませてきた。電機メーカーの発想を超えた、ソニーらしい場所といえる。

 これと同じ発想で、ソニーパークでも、イベントを通じて、銀座の街と一体化したイベントを開催していくという。ちなみに、旧ソニービルでは恒例となっていたソニーアクアリウムは、銀座ソニーパークのなかで復活することが決まっているという。

ソニーパークに合わせたテナントが出店

 もう一つは、テナントの出店だ。現時点では、具体的な店舗名や店舗数などは明らかにしていないが、カフェや物販を行うショップが出店するようだ。

 ただし、従来のソニービルのように、1フロア、1店舗ではなく、公園のなかにカフェが点在するような構成を考えているという。「出店企業とともに、ソニーパークを作り上げていく」(永野社長)というのが基本姿勢だ。

かつてのソニービルの内部。1階から2階の構造は、ソニーパークでも残されることになる
かつてのソニービルの内部。1階から2階の構造は、ソニーパークでも残されることになる
現在の工事の様子。右側半分がかつての1階から2階の構造が残っている様子
現在の工事の様子。右側半分がかつての1階から2階の構造が残っている様子
左側部分がソニーパークとして残る2階部分の壁
左側部分がソニーパークとして残る2階部分の壁

 1966年にソニービルがオープンしたときには、ニューヨークで販売されている雑貨を取り扱うソニープラザ(現・プラザ)や、パリのレストランを再現するマキシム・ド・パリといった店舗が出店。高度経済成長期の日本において、世界の最先端の情報や新しい文化の発信基地という役割を担った。

 永野社長は、「インターネットやソーシャルメディア(SNS)がこれだけ普及している時代に、最先端のものを展示しても、大きなインパクトを生むとはいえない。見に来る人も少ないだろう」と前置きし、「銀座ソニーパークへの出店リストに、日本初上陸といった店舗はない。その一方で、既にある店のコピーのような店舗もない。ソニーパークのコンセプトに合わせた店舗を出店してもらえるようにお願いしている」という。

 テナント側は、場所とコスト、集客力、収益性といった要素を組み合わせて出店を決定することになるが、「ソニーが銀座に公園を作るというプロジェクトを、面白いと思ってもらえた企業ばかりに出店してもらっている。だから、銀座ソニーパークでは、テナントという表現をせずに、パートナーと表現している」と語る。

ソニーパークは新たな「プラットフォーム」になる

 実は、ソニーでは、銀座ソニーパークを、「プラットフォーム」と位置づけている。これは、PlayStationやスマートフォン、あるいはテレビなどを「プラットフォーム」と呼ぶのと同じ位置づけだ。

 例えば、PlayStationでは、プラットフォームをソニーが提供し、その上で、サードパーティーが、ゲームソフトやコンテンツを提供。ソニー自らもゲームソフトを提供し、多くの人が楽しめる環境を作り上げている。そこでは、サードパーティーとソニーのゲームやコンテンツを組み合わせることで、ソニーらしいプラットフォームが実現しているわけだ。

 「銀座ソニーパークも同じ発想」とソニー企業の永野社長は話す。「ソニーパークという新たなプラットフォームの上に、ソニーとソニー以外の企業がアプリケーションやコンテンツを持ち寄り、ソニーパークを作り上げていくことになる。銀座ソニーパークは、オープンの日を頂点に衰退していくのではなく、オープンの日から進化を遂げる場にしたい」(永野社長)。

 さらにこんなことも語る。「日比谷公園や代々木公園を作ろうとは思っていない。きれいな公園を作ろうとも思っていない。“ソニーが都会に公園を作ると、こんな公園になる”というものを作りたい。地下フロアの内装を見たら、『これがソニー?』という声が出る可能性だってある」(永野社長)。いい意味で期待を裏切ることも視野に入れているのだ。

 ソニーパークは2020年秋には閉鎖され、2022年秋に新たな建物に建て替わる。ソニーパークはその建物を視野に入れた実験の場にもなるようだ。

 新たな建物では、ソニーパーク運営で得られた成果を基に、地下のLOWER PARKを作り直し、地上のUPPER PARKはビルとして構成する。これによって、現状の地上から地下だけでなく、地上、地下両方向に延びる新しい都心の公園を誕生させる考えだ。

 「銀座ソニーパークでは、集客数も重要な要素だが、それ以上に、新たなビルに対する期待を持ってもらうことを重視したい。2022年以降につながる取り組みになる」と永野社長。まずは、3カ月後に控えた銀座ソニーパークがどんな形で、我々の目の前に現れるのか。それを楽しみにしたい。

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