世界文化遺産の熊野古道に近い和歌山県田辺市のグリーンツーリズム施設「秋津野ガルテン」が、国内外から注目を集めている。

 熊野古道を歩く参拝者や旅行者の拠点として利用され、とりわけ日本の巡礼地や農村に関心の高い欧米人を中心に外国人宿泊客が急増。2015年度に約200人だったのが、2016年度には約500人を超えた。

 大阪、関西国際空港からJRで約2時間、霊験あらたかな和歌山の山村に、多くの人が足を運ぶ理由を聞いた。

グリーンツーリズムの成功事例として国内外から注目を集める「秋津野ガルテン」。2008年創業。混住化が進む地域で、新旧住民が出資して設立した農業法人が管理運営する
グリーンツーリズムの成功事例として国内外から注目を集める「秋津野ガルテン」。2008年創業。混住化が進む地域で、新旧住民が出資して設立した農業法人が管理運営する
1年を通して柑橘栽培が盛んな地域で、温州みかんだけでなく、キンカン、ポンカン、バレンシアオレンジなど80種類以上のみかんを収穫できる
1年を通して柑橘栽培が盛んな地域で、温州みかんだけでなく、キンカン、ポンカン、バレンシアオレンジなど80種類以上のみかんを収穫できる
2015年、世界農業遺産に認定された「みなべ・田辺の梅システム」を体感できる紀州石神田辺梅林。養分に乏しく崩れやすい斜面を利用した独自の生産方法を400年にわたり続けている
2015年、世界農業遺産に認定された「みなべ・田辺の梅システム」を体感できる紀州石神田辺梅林。養分に乏しく崩れやすい斜面を利用した独自の生産方法を400年にわたり続けている
熊野三山すべての祭神を祀り、別宮的存在として熊野信仰の一翼を担ってきた「闘鶏神社」。源平合戦のとき、紅白の鶏を戦わせて源氏に味方することを決めたとされ、勝運導きの神様としても親しまれている
熊野三山すべての祭神を祀り、別宮的存在として熊野信仰の一翼を担ってきた「闘鶏神社」。源平合戦のとき、紅白の鶏を戦わせて源氏に味方することを決めたとされ、勝運導きの神様としても親しまれている
神社合祀に異議を唱え、自然保護活動にも熱心だった博物学者、南方熊楠の功績と研究を紹介する「南方熊楠顕彰館」。隣接する旧居では、研究に没頭した書斎や庭を見学でき、いまでもカリスマ的人気を誇る天才学者の息遣いを感じることができる
神社合祀に異議を唱え、自然保護活動にも熱心だった博物学者、南方熊楠の功績と研究を紹介する「南方熊楠顕彰館」。隣接する旧居では、研究に没頭した書斎や庭を見学でき、いまでもカリスマ的人気を誇る天才学者の息遣いを感じることができる

世界遺産「熊野古道」の分岐点

 紀伊半島の南西部に位置し、県の4分の1の面積を占める和歌山県田辺市。古くは紀南地方の交通の要衝地として栄え、龍神温泉、湯の峰温泉などの温泉郷に恵まれるほか、みかんや梅などの果樹産地としても有名だ。日本最初のエコロジスト、南方熊楠が後半生を過ごした地でもある。

 熊野古道の主要ルートである中辺路は、市内を東西に横断。JR紀伊田辺駅を降り、市街地から山中へと分け入り、熊野本宮大社へと辿るコースが一般的だ。そのため、2004年に世界遺産に登録されたのを機に観光客数が飛躍的に増加。2003年に262万人だったのが2015年には381万人を超えた。

 さらに2016年10月には、市内の鬪雞神社と熊野古道の4箇所が世界文化遺産に追加登録された。さかのぼって2015年12月には、梅産地の「みなべ・田辺の梅システム」が世界農業遺産に認定。ふたつの世界遺産がある街として、田辺市への注目度は年々高まっている。

 秋津野ガルテンは、そんな観光資源に恵まれた地域にある。

 運営するのは、田辺市上秋津地区の農家と住民489人が出資して設立した農業法人「株式会社秋津野」。関連会社には、農産物直売所を運営する「株式会社きてら」があり、同じく住民31人がひとり10万円を出して1999年に立ち上げた。

 通常、直売所や加工所など農業関連事業は、行政からの委託やJAの直営が多い。ところが、上秋津地区は国や自治体からの補助金だけに頼らず、農業と地域の活性化に成功したのだ。成功要因について、秋津野の玉井常貴社長は「早くから地域でソーシャルビジネスを実践したことが大きい。農業が元気でなければ地域も元気にならないと考え、みかんなど地域資源と人材を生かしながら、積み上げ方式で地域づくりに取り組んできた」と話す。

 地域のことは住民が考えて決め、自ら実行する。都市と農村の交流施設「秋津野ガルテン」は、まさに、秋津野の住民が取り組んだソーシャルビジネスの象徴として誕生した。

1953年に建てられた旧上秋津小学校の木造校舎。地域づくりの研修やみかんなどについて学べる体験棟として利用している。受付は当時の職員室で
1953年に建てられた旧上秋津小学校の木造校舎。地域づくりの研修やみかんなどについて学べる体験棟として利用している。受付は当時の職員室で
校舎に一歩足を踏み入れると、そこには懐かしい昭和の小学校の光景が広がり、ノスタルジック感満載
校舎に一歩足を踏み入れると、そこには懐かしい昭和の小学校の光景が広がり、ノスタルジック感満載
木の廊下や机が並ぶ教室で耳を澄ますと、元気な子供たちの声が聞こえてきそう
木の廊下や机が並ぶ教室で耳を澄ますと、元気な子供たちの声が聞こえてきそう
秋津野塾の中心メンバーとして地域づくりに尽力し、調整役を担いながら農業法人の経営を軌道に乗せてきた秋津野の玉井常貴社長
秋津野塾の中心メンバーとして地域づくりに尽力し、調整役を担いながら農業法人の経営を軌道に乗せてきた秋津野の玉井常貴社長

約1億円で古い木造校舎を購入

 秋津野ガルテンは2008年11月に開業。敷地内には、地産地消のスローフードレストラン「みかん畑」と宿泊施設、菓子作り体験工房「バレンシア畑」などがある。その中心にあるのが、旧上秋津小学校の木造2階建て校舎だ。

 1953年に建てられ、2006年まで利用されたが、小学校の移転計画と同時に更地にし、宅地分譲することが決まっていた。

 当時は、2005年の市町村合併により全国で廃校活用の機運が高まっていた頃。農村では珍しく上秋津は人口が増えていたが、地域資源活用策のひとつとして、木造校舎を買取り、地域で運営する方針を固め、行政を説得した。校舎と土地の購入金額は約1億円。失敗すれば、それまで築いてきた地域の絆まで失ってしまいかねない。「もともと地域で管理していた財産を活用したが、買取るかどうかを決める総会ではけんけんがくがくやりあった。70代の男性が『彼らに託してみよう』といった一言で賛成多数となり、買取が決定した」と、玉井社長は振り返る。

 地域づくりでもっとも難しいのは、いかに住民の合意を得るかという点にある。そのため、上秋津では、いまから20年前、地域の全組織からなる地域づくりの団体「秋津野塾」を発足。さらに2000年から2年半をかけて、住民の声を基に10年先を見据えた地域づくりの基本計画を作成した。マスタープランは一冊の本にまとめられ、住民に配布。「秋津野塾 未来への挑戦」と題した本のなかには木造校舎再活用への思いもつづられ、秋津野ガルテン実現の大きな原動力となった。

10坪の直売所が始まり

 秋津野ガルテン立ち上げのモデルとなったのが、農業法人「きてら」だ。全国各地に直売所が登場し始めたころ、地元住民の声がきっかけとなり、10坪弱のプレハブ小屋から出発した。地域初の直売所で、31人の出資者には、農家だけでなく、商売人や職人、他地域から移住してきたサラリーマンなども名を連ねた。のちに地域以外からも応援団を募り、当初は赤字経営が続いたが、危機を救ったのが、みかんや特産品を箱詰めにして宅配便で届ける「きてらセット」。この地域では80種類もの柑橘類を生産し、年中収穫できる。「その強みを生かしたい」という農家の声から生まれた商品は、歳暮、中元などの贈答用として人気を博し、ドル箱商品になった。毎年1500~2500個の注文があり、直売所の売上げは3年後4500万円を達成。2003年には20坪の直売所を新築し、地元女性が活躍できる加工施設も併設した。

 加工施設で作った生搾りのみかんジュースが好評だったことから、2004年には31人が50万円ずつ出し合ってジュースの加工販売事業に参入。「農協では1キロ50円にしかならない3級品を100円にしたいという思いもあった」という。完全無添加・無調整のみかんジュースは、「俺ん家ジュース」として秋津野ガルテンでも販売。レストランでは1人1杯に限定されるほど人気がある。

 創業から18年。きてらの顧客は9万人近くに上り、年商は1億5000万円に増えた。玉井社長はいう。「自分たちがつけた値段で売れて、きちんと利益も出る。いままで引き出しにしまっていたものを1個ずつ出しながら売るための仕組みを作り、ネットワーク化していったことが、いまにつながっている」。

この地方の方言で「どうか来てください」という意味の「きてら」を店名にした農産品直売所。利用者の7割以上が田辺市民で、約3割は市外から訪れる
この地方の方言で「どうか来てください」という意味の「きてら」を店名にした農産品直売所。利用者の7割以上が田辺市民で、約3割は市外から訪れる
衛生的な環境の下、米国製の搾汁器を使い、みかんひとつひとつ投入して絞った「俺ん家ジュース」。温州みかん(700ml)は1本700円
衛生的な環境の下、米国製の搾汁器を使い、みかんひとつひとつ投入して絞った「俺ん家ジュース」。温州みかん(700ml)は1本700円
直売所で扱う商品は、果物、野菜、花、漬物などの加工品を中心に約200種類。当初70人余りだった出荷者も200人を超え、高齢者の生きがいの場にもなっている
直売所で扱う商品は、果物、野菜、花、漬物などの加工品を中心に約200種類。当初70人余りだった出荷者も200人を超え、高齢者の生きがいの場にもなっている

年間4万人が訪れる農家レストラン

 山間の自然に溶け込む旧い木造校舎と中庭の緑に心癒される「秋津野ガルテン」。校舎内には、机と椅子が並ぶ教室や、キュッキュッと床がきしむ廊下がそのまま残り、昭和時代にタイムスリップした感覚を味わえる。

 お昼近くになるとどこからともなく客が集まりはじめるのが、農家レストラン「みかん畑」だ。バイキングスタイルのランチは、1日100人限定。平日でも12時を過ぎると満席になる。

 明るく開放的な店内には、秋津野ガルテン農園部や地元農家がつくる新鮮野菜を使った料理約30品目が並ぶ。肉じゃが、筑前煮、切り干し大根、ポテトサラダ、カレーなど家庭料理のほか、手作り刺身こんにゃくや茶がゆなどの郷土料理も。調理をするのは地元の主婦たちで、プロの料理人には出せない素朴な味が人気だ。

 地産地消と女性の活躍の場を実現した同店。当初の計画では、年間来店客数を9700人と見込んでいたが、予想をはるかに超える約4万人が訪れる。

 敷地内のお菓子体験工房「バレンシア畑」では、地元の柑橘類を使ったスイーツやジャムを販売。菓子づくりを体験できるのも好評だ。「運営はきてらに任せ、ジュースに加工しないみかんを生かす方法を考えた。加工体験では修学旅行生も訪れる。雇用にもつながり、現在、季節労働者を含め約30人が働いている」(玉井社長)。

農家レストラン「みかん畑」の店内は、ログハウス風で明るく開放的。天気のいい日は中庭の芝生広場でも食事が可能。25名以上の団体客向けには校舎内での特設バイキングも用意されている
農家レストラン「みかん畑」の店内は、ログハウス風で明るく開放的。天気のいい日は中庭の芝生広場でも食事が可能。25名以上の団体客向けには校舎内での特設バイキングも用意されている
カウンター席からは、光と風が心地よい校庭や、懐かしい木造校舎を望みながらスローフードを味わえる
カウンター席からは、光と風が心地よい校庭や、懐かしい木造校舎を望みながらスローフードを味わえる
料理はすべて地元の主婦たちの手作り。収穫したばかりの新鮮野菜などを使った家庭料理や郷土料理が30種類以上並ぶ
料理はすべて地元の主婦たちの手作り。収穫したばかりの新鮮野菜などを使った家庭料理や郷土料理が30種類以上並ぶ
ランチはバイキング形式で1人950円。定番メニューでも、調理する人によって少しずつ味や食材が変わるのもスローフードの楽しみ。俺ん家ジュースの試飲もできる
ランチはバイキング形式で1人950円。定番メニューでも、調理する人によって少しずつ味や食材が変わるのもスローフードの楽しみ。俺ん家ジュースの試飲もできる
多種多様な柑橘が収穫できる上秋津ならではのオリジナルスイーツを販売する「バレンシア畑」。1~2時間の菓子作り体験メニューも用意
多種多様な柑橘が収穫できる上秋津ならではのオリジナルスイーツを販売する「バレンシア畑」。1~2時間の菓子作り体験メニューも用意
みかんシューはみかん100%果汁を使ったクリームとカスタード、生クリームが3層になった爽やかな一品
みかんシューはみかん100%果汁を使ったクリームとカスタード、生クリームが3層になった爽やかな一品

外国人修学旅行生にも人気の農家民泊

 秋津野ガルテンの年間利用者数は約6万人。7室の和室を有する「農ある宿舎」は年間約2300人が利用し、なかでも2016年度の外国人旅行客は前年度に比べて約3倍になった。夏休み中の家族連れや熊野古道を巡る欧米人観光客のほか、最近では地域づくり研修で訪れる人も多い。

 とくに外国人にとっては、日本の農業を体験できるのも魅力だ。近隣農家14戸と協力する農家民泊では、約2時間の農業体験付き。昨年はマレーシア、今年はオーストラリアからの修学旅行生も受け入れた。また休日を利用して農作業を手伝う「農村ワーキングホリデー」にも取り組み、梅やみかんの収穫期には大学生やサラリーマンに混じって外国人も収穫や加工体験を楽しんでいるという。

 今年は、江戸後期から明治にかけて使われていた「熊野早駆道」を再現。上秋津地区から世界文化遺産に追加登録された熊野古道「潮見峠」をめざすコースで、世界農業遺産の「みなべ・田辺の梅システム」も結ぶ。熊野古道の新たなルートとして、観光客の誘客につなげたいと期待する。

 農業をコミュニティービジネスの視点で再生し、地域の活性化に結実させた「秋津野ガルテン」は、地域づくりが一朝一夕にはいかないことを教えてくれる。それでも全国から視察が絶えないのは、玉井社長ら中心メンバーのリーダーシップや農業法人を支える地元住民たちの思い、現場で働く主婦たちと触れ合うことで地域再生のヒントをつかみたいからだろう。

 「秋津野は地域が人をつくり、人が地域をつくってきた」と玉井社長。その言葉通り、住民が参画意識を持ち、行動を起こすことが、地域づくりにいま一番求められている。

新築のレストラン棟と宿泊棟も里山の木々に囲まれ、すっかりに風景になじんでいる
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宿泊施設は、4人まで宿泊可能な8畳の和室が6室と、16畳の和室が1室。素泊まりの場合、8畳部屋利用で大人2人8400円と手ごろ
宿泊施設は、4人まで宿泊可能な8畳の和室が6室と、16畳の和室が1室。素泊まりの場合、8畳部屋利用で大人2人8400円と手ごろ
宿泊施設にはフリーWi-Fiを完備するほか、外国人旅行者向けに、お茶の淹れ方や布団の敷き方まで英語で説明した施設ガイドが置いてある
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外国人修学旅行生の受け入れにも積極的。今年はオーストラリアから約200人が訪れた
外国人修学旅行生の受け入れにも積極的。今年はオーストラリアから約200人が訪れた
地元農家と連携した農家民泊も外国人に好評だ。宿泊するだけでなく、みかんの収穫や梅のパック詰めなど必ず農作業を体験してもらう
地元農家と連携した農家民泊も外国人に好評だ。宿泊するだけでなく、みかんの収穫や梅のパック詰めなど必ず農作業を体験してもらう
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本ページ1段落目、初出では「外国人旅行客は今年度約3倍ペースで伸びている」としておりましたが、正しくは「2016年度の外国人旅行客は前年度に比べて約3倍になった」でした。お詫びして訂正いたします。[2017/5/30 18:46]

(文/橋長初代)

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