最近は大手キャリアよりも、MVNOなど小規模の携帯電話事業者が元気だ。だが実はそれ以前から、小規模ながらも好業績を上げている、元気な携帯電話事業者が存在する。それは沖縄県で「au」ブランドで携帯電話サービスを展開する「沖縄セルラー」だ。同社は同県以外ではあまり知られていないが、2017年3月期の営業収益は630億1700万円と5期連続の増収増益、地元では4割強のトップシェアを誇る。大手の波にのまれず、独自のポジションを築いてきた同社の強さの秘密を分析してみよう。

KDDIと同じauブランドで携帯電話事業を展開する沖縄セルラー。沖縄の携帯電話市場ではトップシェアを持つ
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 なぜ、KDDIではなく沖縄セルラーがauブランドを展開しているのだろうか。その理由を知るには、現在のKDDIが誕生する以前までさかのぼる必要がある。

 沖縄セルラーが設立されたのは1991年。きっかけを作ったのは、KDDIの前身企業の1つである第二電電(DDI)の創業者、京セラの会長職(当時)にあった稲盛和夫氏だ。沖縄の振興を目的として1990年に創設された、本土と沖縄の経済人による交流会「沖縄懇話会」の席で、稲盛氏が沖縄県に携帯電話会社をつくる方針を示し、DDIおよび県内企業の出資を受けて誕生したのが沖縄セルラーなのだ。

 当時は地域ごとに携帯電話会社が存在するのが一般的で、DDIも「関西セルラー」「東北セルラー」など、関東・中部以外の地域に進出していたが、資金力、技術力に勝るNTTドコモを相手に苦戦。2000年にDDIと国際電信電話(KDD)、日本移動通信(IDO)が合併してKDDIが誕生した際、競争力強化のためIDOの携帯電話事業とともにKDDIへと集約されている。だが沖縄セルラーだけは、県内で5割を超えるトップシェアを獲得するまでになった。

 人気の理由は、地場系企業ならではの地域密着戦略だ。沖縄セルラー発足当時、本土から離れていることもあってか、沖縄県は携帯電話のインフラ整備が遅れていた。そんな中、沖縄セルラーは、地場企業ならではの強みを生かしてインフラ整備を積極的に推進。沖縄県民からの支持を集め、1997年には日本証券業協会(現ジャスダック)に上場を果たす。

 現在は、全盛期ほどの勢いはないものの、それでも4割強のシェアを誇り、トップの座に君臨し続けている。そうした県内での実績とシェアの高さから、KDDIとしては沖縄セルラーの独立を維持したままauブランドを展開したほうが良いと判断したようだ。

沖縄セルラーは、1991年に設立された。写真はKDDI・沖縄セルラーのIoTを活用したごみ箱実証実験に関する記者説明会より
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■変更履歴
稲盛氏のお名前が間違っている箇所がありました。お詫びして訂正します。該当箇所は修正済みです。[2017/09/14 16:50]