まちの最大の資源は景観でも特産品でもなく、そのまちに住む“人”といえるのではないだろうか。日田で精力的な活動を行っている人々にインタビュー。その活動を通して、日田の魅力を探った。

 まちづくりグループ「日田プレイス」の代表で、「日田いち」というフリーマーケットを主催している西岡政彦さん。大分県日田市で10年以上、ボランティアでまちづくりに関わる活動を続けている。

2015年には、アサヒビールが「九州を愛し、地元を愛し、その元気・活性化のために情熱をもって取り組んでいる人達」を表彰する「九州情熱人」の大分代表にも選ばれている西岡政彦さん(撮影:佐藤哲郎)
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 西岡さんが日田いちを開催することになったきっかけは、大学時代に経験した放浪の旅にある。オーストラリアの各地をめぐるなか、その行く先々で行われているフリーマーケットに遭遇。日本でフリーマーケットというと、主にリサイクル品を売買する場というイメージだが、オーストラリアでは地域の人々がハンドメイドの作品を持ち寄ったり、一芸を披露したりする場となっていて、そこには笑顔があふれていたという。広大な土地でありながら定期的にフリーマーケットが開催されることで人々がそこに集い、コミュニティーが形成されていることにも感銘を受け、「自分も故郷の日田でフリーマーケットを始める!」と決意した。

 その後、当初の予定を早めて帰国すると、自分が考えているコミュニティー作りのプランを作成。自治体に手紙を送るなど、早速行動に移した西岡氏。しかし、当時は無職で何のきっかけもない状態。残念ながら、その想いがすぐに形になることはなかった。

 「自分の仕事探しよりも先にコミュニティー作りを優先した」(西岡さん)というその熱意を表す例を紹介しよう。地元商店街に頼み込み、コミュニティー作りの礎として「まずはゴミ拾いから」と活動を始めた。すると、徐々に商店街の人々との信頼関係が生まれていき、2000年、ついに西岡さんにチャンスが訪れる。日田市の補助金を得て行われる「空き店舗対策事業」(平成27年度は「商店街チャレンジショップ事業」の一環)として、商店街でフリーマーケットを開催できることになったのだ。最初は10店舗ほどだった出店者は、3カ月後には倍の20店舗となり、商店街にもたくさんの人通りができるように。しかし、紆余曲折があり、商店街でのフリーマーケットはそれ以上続けることができなかった。

2000年に初めて商店街でフリーマーケットを行ったときのポスター。まず自分たちが楽しまないと人が集まってこない、という思いから当初は「日田笑会(ひたしょうかい)」という名前で活動。10周年を記念して名前を「日田プレイス」に変更、開催場所を「パトリア日田」の前に移した(撮影:佐藤哲郎)
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