携帯型ゲーム機の「ゲーム&ウォッチ」がヒット商品になろうとしていたころ、任天堂の開発第二部は業務用ゲーム機の開発に手を染めていた。ところが1981年に開発した「レーダースコープ」が不発に終わり、大量の在庫を抱えてしまう。ハードウエアをなんとか生かそうと社内公募でアイデアを募り「マリオ」が登場するドンキーコングが生まれた。このドンキーコングの回路がファミリーコンピュータ(ファミコン)の母体となった。ファミコンの開発は1982年の春にスター卜する。

 任天堂 製造本部 開発第一部に所属していた横井軍平(敬略、以下同)と岡田智のコンビで開発した携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」がヒットし始めた1980年代初め、上村雅之が率いる開発第二部は業務用ゲーム機の開発に乗り出していた(図1)。1979年の「ブロック崩し」を最後に専用LSIを使った家庭用ゲーム機からは手を引き、CPUを搭載する業務用ゲーム機に活路を見いだそうとしていたのである。

 当時の業務用ゲーム機の代表作はタイトーの「スペース・インベーダー」である。上村のグループもこの流れに乗って「スペース・フィーパー」などのゲーム機を開発したが、ヒットにはいたらない。他社の製品との差異化が難しい時代だった。

ギャラクシアン・ショックを引き金に

 こうしたなか、ある業務用ゲーム機の新機種が上村のグループに衝撃を与えた。それはナムコの「ギャラクシアン」である。それまでのインベーダー・ゲーム機は、敵の数が多いときには動きが遅く、敵の数を減らしていくと動きが素早くなり、打ち落とすことが難しくなるという仕掛けになっていた。これは、ゲームを盛り上げる演出の一つであると同時に、ハードウエアの制約でもあった。

 インベーダー・ゲーム機は1画面ごとに画面を描き換えるフルグラフィックス(ビットマップ)方式を採用していた。この方式では画面にたくさんのキャラクタを表示すると、素早く動かすことが難しい。

 ところが、ギャラクシアンは画面にたくさんの敵を表示しているにもかかわらず、きらめく星くずが滑らかに動いていた。「技術者としてショックを受けた」と上村は言う。ギャラクシアンに使われていたのは、スプライト(オブジェクト)方式だった。上下左右にスクロールする背景の前面で、座標を移動させながらあらかじめ用意したスプライト画像を動かす。現在のゲーム機では当たり前の機能をギャラクシアンは先取りしていた。

 ギャラクシアンとの出会いを契機に、上村のグループはスプライト表示のための回路方式の開発に没頭していった。