近年、ミステリー界では「北欧ミステリー」のジャンルが人気を博している。毎月のように翻訳本が出版され、北欧で書かれたミステリーの映像化を観る機会も増えてきた。一体なぜ、北欧生まれの作品が人気なのか? その独自の魅力を、海外ミステリーに詳しい書評ライター・杉江松恋さんに聞いた。

“社会批判をする媒体”として確立された北欧ミステリー

 最近、書店で海外ミステリーの棚を見るたびに「北欧」の文字が目につくようになった。手に取って読んでみると、最初は慣れない登場人物の名前に戸惑うものの、物語の背景に漂ううっすらと暗い雰囲気や、ダイナミックな犯罪描写、スリリングな展開、派手ではないが丁寧に生活している登場人物の様子などが垣間見えて、北欧ミステリーの世界にハマった。その丁寧な構成は、書店で見かけるほとんどの北欧ミステリーに共通しているようだ。

北欧ミステリーは早川書房や東京創元社など、推理小説を多く出している出版社から、毎月のように発行されている
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 なぜ北欧(なかでもスウェーデンの作品が多い)で書かれた作品に、良質なミステリーが多いのか? 日本のみならず、欧米でも人気がある。その理由として「北欧においてミステリー小説は“社会批判をする媒体”である」ことが挙げられると、書評ライターの杉江松恋さんは言う。

 「北欧ミステリーの特異な点は、根本に社会批判があることです。どんなキャラクターに、どんな背景の事件を解決させれば、今の社会を批判できるかを考えて、小説が組み立てられています。とても自覚的に小説が組み立てられていて、そこが他国の小説とは異なる点だと思います」(杉江さん)。

 批判される対象の多くは、「腐敗した政界、東欧やアフリカからの移民問題、多発するDV事件、性差別、児童虐待、労働力または性的対象としての人身売買など、非常にシリアスなもの」だと杉江さんは話す。それらの問題を、象徴的な主人公(刑事や探偵など)に解決させることで、社会の揺らぎを浮き彫りにしているのだそうだ。

 北欧の国々は、平和な福祉国家で男女平等のイメージが強いが、実は多くの問題を抱えているという。しかし、なぜそれらの問題を、ミステリー小説という形で表現するのだろうか?

 「日本ではミステリーは娯楽小説で、純文学とは異なるというジャンルの隔たりがありますが、北欧ではそれがないと聞きます。とくにスウェーデンでは文学の1ジャンルとして確立していて、ジャンル間差別はほとんど存在しません」と杉江さんは話す。それは、スウェーデンにおいて、社会的影響を与えたあるミステリー作品が生まれたからだ。

 「19世紀末~20世紀前半までの北欧ミステリーは『田舎の旧館で密室殺人が起きる』ような、古典的な作品が書かれていました。それが1965年、スウェーデンの夫婦合作の作家、マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーによって『北欧ミステリーのお手本』ともいうべきシリーズが誕生します。それは警察官マルティン・ベックを主人公にした、警察捜査小説シリーズでした」

 スウェーデンが、1960年代後半に国の右傾化を伴って経済的な揺らぎを見せたころ、社会改革派の活動家でもあったマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー夫妻が「福祉国家として維持できないのではないか」と懸念し、その批判を込めて書き始めたのが、マルティン・ベックのシリーズだった。

 「スウェーデンは貴族社会で、現在も貴族と庶民の間には社会的格差があります。その中間に位置するのが警察官です。警察官だけが階級間に立ち、自在に行き来できるのです。主人公のマルティン・ベックはストックホルム警視庁の警察官で、どちらかというと凡庸な男で、シリーズ途中で離婚を経験するなど、共感しやすいキャラクターです。このように揺らぎのある主人公が、階級間を行き来しながら社会的問題をはらんだ事件を解決するところに、スウェーデンの人々は『ベックは我々である』と共感しました。このシリーズは、1965年から10年にわたって書かれ、それはそのまま福祉国家として行き詰まっていたスウェーデンの10年史ともいえるのです」

 北欧5カ国はEU前から文化・経済的に一体感があったため、ベックのシリーズは瞬く間に北欧で人気を博し、「社会批判を込めたミステリー小説」というスタイルが北欧に広がっていったという。そして北欧ミステリーは1990年代、さらなる広がりを見せる。

 次ページからは、90年代以降に人気を得た象徴的な作品を探る。