三洋電機には、まだ社員が在籍している。2015年2月末の時点で約7000人。そのうち約400人が三洋電機本体に残り、それ以外の約6600人はパナソニックに出向している。

 その約7000人全員が、2015年4月1日付けで、本人の同意を得ることを条件として、パナソニックおよびパナソニックのグループ会社へと転籍する。

 三洋電機自体は商品のサポートや資産管理などのために4月1日以降も法人格を維持するが、そこに社員はいない。パナソニックの社員となった元・三洋電機社員が、“パナソニックから三洋電機へ出向”する形になるのだ。これはある意味“三洋電機の完全消滅”にも等しい。

 2010年には10万人を超えていた社員数が、たった5年でゼロになるのだ。

15人の社員が16年で1万人越えに

 改めて推移を振り返っていこう。

 創業者の井植歳男氏が、当時の松下電器および松下電工を退職した15人とともに三洋電機製作所を発足し、兵庫県加西市で北條工場を稼働したのが1947年。3年後の1950年には三洋電機株式会社を、社員190人でスタートした。

 同社が大阪証券取引所および東京証券取引所に上場した1954年には、社員数は2344人に増加。1963年には1万1人と、初めて1万人を突破した。このころの三洋電機はトランジスタラジオの販売台数が6年連続首位となるなど、事業の拡大路線にまい進しており、1959年に東京三洋電機を設立。1960年に同社初の海外拠点である三洋電機(香港)有限公司をはじめ、台湾、ガーナにも拠点を開設し、翌1961年には米ニューヨークを本拠とするサンヨー・エレクトロリック・インクを設立するなど、海外でも地盤を強化していった。以降は発電ランプやトランジスタラジオの輸出に加えて、小型テレビやテープレコーダーの輸出が増える。

 1985年度には単独売上高で初めて1兆円を、連結売上高では初めて1兆5000億円を突破し、その業績拡大の勢いを反映するように社員数が急増。1986年に連結子会社を含めて2万5599人だったのが、翌1987年には1.5倍の4万590人に増え、1989年には5万5526人になっていた。

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