今回のテーマ:第九。ベートーベンの「交響曲第9番ニ短調作品125、合唱付き」のこと。「歓喜の歌」としても知られている。日本ではなぜ年末恒例の行事となったのか。

 年末になるとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(1770~1827)の第9交響曲のコンサートが一気に増える。「合唱付き」とも呼ばれるこの交響曲に、アマチュア合唱団の一員として演奏する側で参加する人もいるだろう。なぜこの曲がベートーベンの故郷であるウィーンから遠く離れた日本で、しかも年末に演奏されるようになったのだろうか。

 そもそも交響曲とは弦楽器を主体に管楽器、打楽器などが加わった大規模なアンサンブルで演奏される曲だ。通常は複数の楽章に分かれている。17世紀イタリアでバロックと呼ばれる音楽様式が勃興した時に、オペラの序曲が独立し、合奏協奏曲という大人数で演奏する形式と影響し合ったことで成立した。

 古典的な交響曲の形式を確立したのは、ベートーベンの師匠でもあるフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)だった。ハイドンの時代の交響曲は、2つの主題を持つソナタ形式の第1楽章、ゆったりとしたテンポの第2楽章、3拍子のメヌエットという舞曲の第3楽章、そしてソナタ形式、または同じメロディを挟んで様々なメロディが出てくるロンド形式の第4楽章という形式を持っていた。要は、数十分、聞いているお客さんを手を替え品を替え楽しませ続ける、4種類のおかずが入った幕の内弁当だと思えばいい。

 ハイドンは77年の生涯で102曲の交響曲を作曲している。ベートーベンの一つ上の世代のウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)は35年の人生で41曲だ。これから分かるように、交響曲は、作曲家にとっては比較的さらっと書くことができる、聴き手からすれば肩の凝らないお楽しみのための楽曲形式だった。

 ところが、ベートーベンはその交響曲を根本から変えてしまう。

 今でこそ学校の音楽室にしかめ面の肖像画が飾られているが、生きている時のベートーベンは、パンクとかモッズとか、あるいはローリングストーンズとかビートルズとかにずっと近い存在だった。つまり“尖った人”だったのだ。