今回は、中国で活躍する建築家の迫さんとの対談をご紹介致します。
 中国に行かれたことがある方であればお分かりになると思いますが、国民性の違いが大きいのでしょうが、日本では考えられないくらい、中国にはとても変わった建物、ユニークなデザインの建物、派手な建物がたくさんあります。
 そんな自己主張の強い建物が多い国で、日本人である迫さんの建築物が注目を浴びているのです。控え目な日本の風土の中で育ちながら、中国人の感性をがっちりと掴んでいる迫さんに、日本企業が中国で成功するためのヒントをお話し頂こうと思います。

原田曜平(以下、原田): 北京に行ったきっかけは? 中国を狙ったきっかけは何だったんですか?

迫慶一郎(以下、迫): 大学院卒業後、山本理顕設計工場に8年勤務し、後半の3年間は中国の北京で仕事をしていました。北京行きのきっかけは、2000年9月に山本さんが北京大学で講演されたことです。その講演を聴いていたディベロッパーの若い女性社長から、山本さんが70万m2という巨大プロジェクトのコンペに参加するよういきなり依頼されたんです。山本さんも興奮ぎみで、横浜にいた私も現地にすぐに呼ばれました。初めての中国は忘れもしません。2000年10月1日、国慶節の日でしたから。

迫慶一郎
さこ けいいちろう。1970年、福岡県生まれ。東京工業大学大学院修了後、96年、山本理顕設計工場に入社。2004年、SAKO建築設計工社設立、04 - 05年、米国コロンビア大学客員研究員、文化庁派遣芸術家在外研修員。北京を拠点に現在までに80を超えるプロジェクトを、中国、日本、韓国、モンゴル、スペインで手掛ける。建築設計とインテリアデザインを中心としながらも、グラフィックや家具、都市計画マスタープランまで、その仕事範囲も多岐にわたる

 実際に北京の街を見たとき、大量の車で渋滞してるし、その車を縫うように横断歩道のないところで人が渡ってるし、人間の生々しさがそのままあって、すごいなあ、と。沈滞していた日本とまったくコントラストのある場所にいきなり入って、高揚感に包まれるような体験をしました。それが中国への最初の印象でした。

 そして、訪問したディベロッパーのオフィスは、超高層ビルのワンフロアを使っていました。受付の美人スタッフや社長秘書のブラジル人も含めて、会議室に集まってくるディベロッパーの幹部の方々はみんな、英語を流暢に話してたんです。大手企業を除いて、中国に参入しようという日本企業がとても少なかった頃の話です。かなり限られた場所ではあるかもしれませんが、すでにグローバル化が急激に進んでいることにショックを受けました。

原田: 70万m2のプロジェクトって想像がつかないんですが?

迫: だいたい六本木ヒルズと同じ規模です。

 北京の「建外SOHO」(けんがいそーほー)には高層ビルが20棟建っていて、そのうち18棟がSOHO棟で、2棟がオフィス棟。仕事場と住居が一体になったSOHOももちろんありますが、SOHO棟はオフィスにも住宅にも店舗としても使える、いわゆる多用途を想定したプランニングになっています。今となっては大部分がオフィスとして使われていますが、低層部分は店舗が300軒ほど入っていて、昼間人口は数万人にも及びます。

原田: 「建外SOHO」の仕事で得たものは何ですか?

迫: それまでに日本の建築家事務所が海外で70万m2もの巨大プロジェクトを手がけたことがなかったので、本当に高いモチベーションで挑みました。試行錯誤の繰り返しでしたが、このプロジェクトに没頭しました。3年間で、中国がこれからすごく伸びていくだろうということや、日本とは違う状況がつくり出す建築の可能性を感じました。

原田: すぐに中国で独立起業することに躊躇などなかったんですか?

迫: ありました。独立して自分の事務所を始めるというときに、中国を拠点に始めても良いだろうか、疑問というか恐さのようなものを感じました。なぜなら、日本には建築家として世に認められるステップみたいなものがあるんです。まずは、有名建築家の下で修業をして、独立し、最初は親戚とかの住宅を設計しながら、それを発表してって、それが評価されていくと、だんだん大きなプロジェクトも手がけていくという、建築家としての「勝ち上がりシステム」のようなものがあるんですよ。それが中国で始めてしまうと、そのシステムから漏れ落ちてしまうんじゃないかと思って。

原田: 中国での独立でなく何を選択しようとしていたんですか?

迫: 学生の頃から一度は欧米で何かしらの経験を積みたいと思っていたんです。特にニューヨークに惹かれていたので、退社したら、ニューヨークの有名な建築家事務所で働いてみようと考えていました。

 ところが、それを山本さんに話したら、「もう設計事務所で働く必要はないんじゃないか。十分に実力がついたんだから自分でやったらどうだ。それでもニューヨークに行きたいんだったら、どこか研究機関にしたらどうだ」と言われました。コロンビア大学は90年代頃から世界を見渡しても非常に魅力的な建築スクールだったんです。

 そこで、コロンビア大学に的を絞っていろいろと手を尽くし、なんとか2004年9月から1年間、客員研究員の座を確保しました。