2011年3月11日に発生した東日本大震災(3.11)から1年が経とうとしている。

 3.11によって社会、個人、人間関係、消費生活、メディアとの接し方、ものの考え方などがどう変化したのか。1年が過ぎて、元に戻るもの、戻らないものは何か。この連載では、さまざまな「3.11の現場」の当事者に聞くことで、この先、消費や生活の基軸がどのように変化していくのかを明らかにしていきたい。そしてシリーズ第1回目に登場するのは、食品販売のネット通販を行うオイシックス(東京都品川区)社長、高島宏平氏だ。

 2000年の創業以来、増収を続けているオイシックスは、もともと有機・無添加食品、安心・安全な食品を提供するとして、確実にユーザーを増やしてきた。3.11後は、被災地にいち早く支援物資を提供するなど「東日本復興支援活動」と銘打ち継続的な支援活動を行っている。一方で、ユーザーの不安を取り除くべく、早期に放射性物質に対する検査も実施。

 そして高島氏は、東日本の食の復興と創造の促進および日本の食文化の世界への発信を目的とした「東の食の会」の代表理事も務め、積極的にソーシャルな活動をしていることでも知られる人物だ。その高島氏は今、3.11をどう感じているのだろうか。

食品はライフラインに関わる。だから大切なのは、業務を止めないこと

オイシックス 高島宏平 代表取締役社長
神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、外資系経営コンサルティング会社のマッキンゼー東京支社に入社。退社後2000年5月の退社までEコマースグループのコアメンバーの一人として活動。2000年6月に「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念とするオイシックス株式会社を設立し同社代表取締役CEOに就任。生産者の論理ではなくお客様の視点に立った便利なサービスを推進している。2006年 Entrepreneur Of The Year Japanファイナリスト、2007年「ヤング・グローバル・リーダー」で世界のリーダー150人に選出。2007年 起業家表彰制度「DREAM GATE AWARD 2007」受賞 。2007年 企業家ネットワーク主催「企業家賞」受賞

──東日本大震災発生時はどちらで何をされていましたか?

オイシックス高島宏平社長(以下高島): 会社にいました。食品を販売するという業務の関係もあり、当社にはキッチンや食器棚も装備されていますが、その食器棚が壊れそうだったため、とっさに押さえてしまいました。同時にこれまでに経験したことのないものだと感じたため、この場から避難するべきか否かを判断するべきだと考えました。
 本社があるビルは、直下型でない限り倒壊はしないと考えたので、まず行ったのは外部からの情報収集と社内の状況の確認です。また災害に際し、パニック状態に陥るなどして人災が起きてはならないので、社員に対し、自分が笑顔で落ち着いていることも心がけました。

──具体的な現状把握の方法は?

高島: 当初、即時に状況把握が必要だと判断したのは本社および店舗と配送センターという弊社の拠点です。
 社内の点呼をし、神奈川県・海老名にある配送センターおよび恵比寿の店舗に連絡を取りました。恵比寿は当初連絡がつかず、本社から徒歩で確認しにいくこととなりましたが、海老名は比較的早くに情報を得ることができました。どちらもその時点で、安全上懸念されるような事態には至っていませんでした。
 次に、産地の生産者、特に東北の生産者の把握です。当然、連絡手段が絶たれた状態。この事態が復帰するまでには時間を要することも分かってきました。
 その後は社員に帰宅命令を出すかどうかを検討。無理な帰宅はかえって危険です。そこで、子供を迎えにいかなければならないなど優先的に帰宅をしなければならない事情のある人と、それ以外の人を分けて考えることにしました。基本的には社内に残る方が安全ですから。帰宅する社員にはなるべく集団帰宅してもらうようにし、自宅到着後の社への連絡を徹底しました。
 また社では、暗い気持ちにならないように、気合いを入れた炊き出しをしていました。

──すぐに直面した問題は?

高島:  当日は、現状把握で精一杯。現実味を帯びたのは翌日以降でした。なにより大きな問題は物流の混乱でした。
 3月11日の時点で仕分けをして出荷をした荷物が、運送会社側で受け入れられず、翌日に箱ごと戻ってきてしまうという事態が起きてしまった。その単位は何千個。復旧のめども立ちません。しかし我々が扱うのは食品です。できる範囲で自社のトラックを使うなど輸送手段を確保し、配送に入りました。
 ただし同時に仕入れ物流など、仕入れに関する混乱も起きてきました。産地に連絡がつかず、仕入れができないこともわかってくるわけです。しかも、産地が東北の食品だけではなく、九州の水が支援物資として確保されるなど、入手困難な事態が多発したんですね。
 追い打ちをかけるように、東京電力福島第1原発事故が起きました。もはや3月12日の時点で食品の汚染問題が起きるだろうということが想定されたので、食品の放射性物質検査機器の手配を開始しました。検査をしてから出荷するという体制は、安心、安全を謳う食品販売の会社として、一刻を争う問題だと考えたのです。簡易な検査ではありましたが、スピードを重視してやるべきだと判断しました。
 物流に関しては、その後、「計画停電」の問題にも直面しました。海老名の配送センターは、計画停電第1グループの区域に入っていました。これにはあわてました。なにしろ扱うのは食品ですから、冷蔵庫の電源確保はもちろん、配送作業は暗い中ではできません。
 しかも、配送センターには運送会社から戻ってきた荷物も何千個と積まれている。その状態での作業は本当に困難を極めます。そこで、早々にかき集めておいた懐中電灯をクルマに積み、どのように組み合わせたら灯りを確保できるかを考え、3時間なのか、場合によっては6時間にまで至ると言われた計画停電に対応する方法を考えました。ただ当初の開始予定の日、実際には計画停電にはならなかったので、その間に取引のある農家さんなどに連絡をし、自家発電装置の貸し出しをお願いしましたね。
 なにより大切なのは、業務を止めないことでした。弊社の仕事はライフラインに関わるものですから。

──被災地への対応も迅速でしたね。

高島:  物資支援は急ぎました。オイシックスでは、3月13日の日曜日から支援を始め、当初は宮城県内の3カ所に支援物資を届けました。1t以上の飲料水や1万本以上の健康飲料、加工しないでも食べることができるシリアルやチョコレートなどの食糧支援を実施しました。
 なぜすぐに行動したのかといえば、その時点で自分たちに生命の危機はないと考えたからです。それならば、会社の業務を止めない範囲でできることは、しっかりやっていこう。我々は普段から食品の仕事をしていますし、東北地方には仕入れ元も多くありますから、すぐに行動することにしました。