ライスブレッドクッカー「GOPAN」、ニッケル・水素蓄電池「eneloop」、あるいは炊飯器「おどり炊き」、空気で洗う洗濯機「AQUA」。いずれも大ヒットした家電だ。しかし、商品がヒットしていても、そのブランドが三洋電機だということが、声高に叫ばれることは少ない。2011年4月1日、三洋電機は、パナソニックの完全子会社となる。これを機に「三洋電機」のヒット商品と、それを生み出してきた開発者や企画者たち、そして三洋電機というブランドの“履歴書”を、まとめていく新連載。第1回はその歴史をスタートさせた井植歳男氏について。

井植歳男氏

 パナソニック(当時・松下電器産業)を去った井植歳男氏が、1947年に創業したのが三洋電機ということは、多くの人の知るところだろう。

 その三洋電機は、2011年4月1日、パナソニックの完全子会社となる。

 井植歳男氏自身は、パナソニック創業時から関わり、創業者の松下幸之助氏の義弟という関係。縁戚は、パナソニックと深い。だが、三洋電機には、独自の文化が根付いている。それは、井植歳男氏自身が語ったという「大衆のなかから生まれ、大衆に育てられ、大衆とともに発展する」「お客様に愛される三洋電機」という言葉に集約されるだろう。

 創業者である井植歳男氏は、「魂のこもった仕事、他の追随を許さぬすぐれたもの、世間の役に立つ」という考え方を事業の肝に据えた。それが三洋電機のDNAとなり、発展を支えてきたともいえる。

 三洋電機とは、どんな会社なのか。そして、そこにはどんな文化が息づいているのか。歴史を紐解き、三洋電機の数々の製品に触れながら、同社の根幹にある「なにか」を探ってみたい。

次姉が松下幸之助氏と結婚

 三洋電機の創業者である井植歳男氏は、1902年12月、兵庫県淡路島の浦村で生まれた。

 4人の姉、そして、弟が2人、妹が1人。このうち次姉むめのさんが、松下幸之助氏に嫁ぎ、深い縁ができる。

 父の清太郎氏は、清光丸という機帆船(きはんせん)を所有し、交易を生業としていた。これを見て育ったわけだから、子供の頃から船乗りになりたいと思ったのは当然だろう。歳男氏は尋常高等小学校高等科を卒業すると、すぐさま見習い船員として船に乗り込んだ。

 「当時は海だけが世界に通じる道。その仕事に従事することは海国男子の本懐である」。そんなふうに、歳男氏の気持ちは海を通じて世界に向いていた。ところが順調に船乗りとしての一歩を踏み出したはずの歳男氏は、大阪・西九条の倉庫近くを曳航(えいこう)中、突然倉庫が爆発。死傷者300人以上を出した大惨事に巻き込まれてしまう。このとき歳男氏はとっさに川に飛び込み、九死に一生を得たが、船は焼かれて沈没。乗るべき船を失ってしまったのだ。

 この事故の翌月、偶然にも独立の準備をしていた松下幸之助氏から連絡が入る。これをきっかけに、歳男氏は電機業界への一歩を踏み出すことになった。14歳の時だ。