【田中造景の「庭道流」風景ストーリー哲学】

“天”は人間を皮肉ったのか?

 風水では、「天・人(心)・地」ということで語られることが多いけど、今回のストーリーは、“天”に尽きる。おふくろを亡くし、もう鹿児島に来ることもないだろうと思っていた矢先の、ふるさと鹿児島の出水。奥に天草、さらに遠くに長崎の雲仙。そして右に側に熊本との県境。そこに雨雲が通過し、雨の姿、虹の姿、そして夜明け。天のめまぐるしく変化するさまを目の当たりにできたし、脳裏にそのシーンを焼き付けることができた。

 特に虹とレインボーブリッジという“自然対建築構造”との対比。「天の鏡は地にあり、地の鏡は天にあり」という言葉が庭道の教えにあるのですが、まさにそれを象徴するようなシーンだった。

 人の作った橋という建造物が本物の虹のもとではあまりにも小さく、弱々しく見える。それを自然が皮肉っているかのようだよね。ボクたち人間は、自然と共存共栄していかないと、それが分離しちゃうと未来はない。

 この旅もさまざまな人たちに助けられ、菜の花のにおい、やきとりの味、ミツバチの羽音、食べ物のおいしさ。生きることが大切だというごく当たり前のことかもしれないけど、ここで見た風景にそのすべてが凝縮されていたと感じたね。

地球は僕らの“庭”だ! 造景さん、その眼力に期待してますよ

すべてが終わった初回の撮影舞台。寂しさも、ちょっとよかったりして(画像クリックで拡大)