ジャパニーズアニメはいかにして世界に広がったのか?その道のりを知る男・アニマックス社長の滝山氏に突撃したリサーチャー・リサ子。うーむ、すべての歴史は必然である!
「漫画家として成功すれば、大金持ちになれた。でもアニメの世界は、いくらがんばってもみんなビンボーで……」とアニマックスの滝山社長は60年代、70年代のアニメ事情を振り返る。
さて、この手の話題でよく見かけるのが、“手塚治虫の功罪”の「罪のほう」って意見だ。
手塚治虫がアニメ界に残した“罪”とは?
手塚治虫はアニメ制作を超格安料金で請け負った。予算がないから描くコマ数を減らし、しかもスタッフは低賃金で徹夜作業を強いられた。なんと、今につながるアニメ関係者“ビンボー物語”のひな型をつくったのは手塚だったというわけだ。
30分レギュラーのアニメ番組としては日本最初の『鉄腕アトム』をつくった大御所。その後も『ジャングル大帝』や『リボンの騎士』などを世に出していった――。
手塚(と虫プロダクションの面々)は、アニメ草創期に最も汗をかいた人間だろう。手塚のアニメは後世に大きな影響を与えた。内容的にも、文化的にも、そしてビジネスモデルとしても……。
そもそもディズニー映画に憧れて漫画家になった手塚だから、「アニメの仕事ができるなら、儲けは度外視や!」と情熱を傾けた背景もあっただろう。また、「超格安料金で請け負えば、市場を独占できるやろ」と考えた形跡もあるようだ。
アニメは、どれだけ切り詰めて、作れば作るほど赤字になってしまい、マーチャンダイジング収入や2次使用をアテにしなければ制作費は回収できないビジネスとして出発したのだ。それが、連綿と続く「アニメをやっても絶対に金持ちになれないシステム」の始まりだった。
うーむ。手塚治虫ほどの人物でも、功罪の「罪のほう」を残してしまうんだなぁ。夢をみることとご飯を食べることを両立する難しさ、なんだろうか。











